2008年3月12日水曜日

殺し合いの作法


父も母も戦中派である。もっとも、母は昭和19年生まれであるから、全く記憶はないという。父は昭和13年であり、空襲にあった記憶もある。この父の戦争の記憶が面白い。例えば戦中と言えば食糧難ということがよく言われるが、ははぁ、食糧難と言うのは実に相対的なもので、要は気持ちの問題だよ、父は言う。つまり確かに米はない。しかし米がなければ芋を食えばよい話で、芋がなければ虫を食えば済む話である。そうして、さすがに虫がないということはなかったということである。ちなみに親父に言わせると本当に食料がなかったのは終戦直後で、GHQが交通を遮断してしまったので、東京からは虫すらなくなったという。

バッタやコオロギは炒めるとなかなかうまいんだ、楊枝で歯をしーしーしながら、太鼓腹をぽんと叩いて父は言う。ときどきカマキリが混ざっており、これは硬くて食いづらい。しかし食えないものでもない。ゲンゴロウや大体の幼虫などもいけるという。フライパンについそこでとってきた虫をざあっと入れてね、ばん、と蓋をする。しばらく中でばたばたしている。静かになったらもう食いごろだよ。小さいころから食卓でよく聞かされた話である。なにも食卓で話さなくてもよかろうに。

原っぱで野草をとってざるに入れていると、ずっと向こうからアメリカ軍の戦闘機がぷーんと音をたててやってくる。それでタイミングを見計らって、そろそろ来るかな、というころになったら橋の下に避難する。そうすると、その上を、ダダダダダ、と機関掃射してゆく。それでまたのそのそ出て行って、野草をとっている。しばらくすると、またやってくる。一度やってきた戦闘機は、必ず帰ってくるのだという。それでまた橋の下に非難する。このタイミングが難しい。いちいちあまり早く逃げ込んでては仕事にならないし、遅ければこの世とおさらばだ。慣れてくれば見ないでも音だけでタイミングがわかるようになる。それで橋の下でしゃがんでいると、またダダダ、とその上を機関掃射してゆく。橋の下から這い出てくると、パイロットがこっちに向かって笑いながら手を振っている。表情がわかるくらい低空で飛んでいるのだ。それでこっちも手を降り返す。そうしているうちに飛行機は行ってしまう。それでまた野草をとる。まあもちろん、運が悪かった場合は死ぬ。友達も何人も死んだ。


このような話は、戦後民主主義の何でもかんでも戦争は悪だ、空襲は恐ろしいというお決まりの言説に隠されてしまって、めったに聞くことができない。


もうひとつ、よく心に残ったエピソードを話そう。ある空襲の夜のこと、高射砲が爆撃機を一機撃墜した。アメリカ軍のパイロットが、落下傘で降りてくる。で、市街地でこういった状態になった場合はほとんど、下からの機関射撃で空中で撃たれて死ぬことになる。ところがこのパイロットは完全にラッキーで、運良く撃たれずに地面までおりることができた。そうして、地上におりて、日本人の民衆がわーっと彼に駆け寄っていこうとした瞬間、空に零戦が現れたという。父は、即座に、あ、撃たれる、と思ったのだそうだ。ところが零戦のパイロットは、コックピットから、ただ、だまって地上でよろめく彼に敬礼をしたのだという。そして、米兵の方も、ただ黙って背筋を伸ばし、零戦に向かって敬礼をしたのだという。




その後のことは記憶がない。




このような話を聞くとき、ぼくはいつも、不思議でありながらどこか納得してしまうのである。テレビやメディアが、絶対に言わない戦争の真実を、どこかで垣間見てしまうのである。


バトルロワイヤルやリアル鬼ごっこ、ソウ、キューブといった気持ちの悪い映画作品が繰り返し作られている。これらの作品群はただ理不尽なシチュエーションの元で登場人物に殺し合いをさせる。どうしてこれほど理不尽な状況に追い込まれていかざるを得なかったのかについては一行たりとも説明がない。これらの作品は芸術作品ではなく、ただ観客の性欲を満足させるだけのポルノである。

ただ、戦争はポルノではない。戦後常に悪魔のようにしてしか描かれてこなかった軍首脳、傲慢なる憲兵、そして常に神であった天皇にすら、ギリギリの状況の中でギリギリの判断があったはずだ。零戦のパイロットと、B29のパイロットが、ほんの一瞬に交わした敬礼─いわば殺し合いの作法とも言うべきものが、戦争にはある。


異常犯罪者と言われる人間が、最早異常とはいえないほど次から次へと現れてくる。綺麗な女の子の首をのこぎりで切ったらどれほど楽しいだろうなあ、というのは正直よくわかる。上記の作品群─バトルロワイヤルやリアル鬼ごっこ─がポルノ作品として大ヒットしているところを見ると、そう思ってるのはどうやらぼくだけではないだろう。ぼくらは闇との付き合い方を知らない。そう、ぼくらの世界には生まれたときから闇はなかった。少年Aの生まれた街、須磨ニュータウンにはパチンコや風俗といった猥雑の臭いが全くない。親父はこの街に仕事で何度もいっているのだというのだが、印象としてはとにかくまぶしいのだという。そうして、このまぶしい街の中で唯一薄暗い場所が、タンク山だというのは、出来すぎた話だろうか。

人間の心理は膨大な無意識という闇と、その上に乗ったごく小さな意識から出来ている。それはまるで、巨大な森を開拓し、小さな都市を作り上げていった人類の歴史のうつしのようでもある。我々は、木を切り倒し、森と都市の境界に結界を張った。神社である。人間は常に神社を通して、都市の外を畏れた、カミゞの世界を。それは他者の世界である。都市を勝手のわかる自己の世界だとするならば、その外は手探りの闇である。

ところが、都市に生まれた我々は、生まれつき闇を知らない。この都市の外が、巨大な森であることをしらない。闇との付き合い方を知らない。闇との付き合い方とを知らないということは、カミゞ、即ち他者との付き合い方をしらないということである。ぼくは、君が、ぼくのことを馬鹿にしているんじゃないかと思って、いつだって怖くていてもたってもいられない。しょうがないから昼間からエビスあおって君と話すよ。ごめんね。君はそんな人じゃないのに。それでも怖くてたまらないから、ぼくは自分の殻に閉じこもるんだ。ここだけがぼくの居場所だ。仕方がないじゃないか。闇となんて一度も話したことがなかったんだから。今まで誰も教えてくれなかったんだから。先生も教科書もみんな、つじつまが合うように、この世界の全てはまるで何でもわかっているかのように書いてあったんだ。ぼくはそれを真面目に勉強していただけだよ。今更ぼくの中に入ってこないで!ぼくは頑張ったんだから、これでいいんだ。セックスなんてしたくない。君のことが怖いもの。この世界から引きずり出さないで。どうせ君も最後にはぼくのことを裏切るのさ。だからさあさっさとどこかに消えてよ。現実なんていらないの。そうして私なんてどこかでのたれ死ぬがいい。


ところが、無意識を抑圧すれば、その軋轢は必ずどこかに現れると言う。まあだから、それがバトルロワイヤルみたいなポルノだったり、異常犯罪だったりする。それがぼくらの現実の限界だ。


戦争賛美?もってのほかだよ。あんなこと、二度とおきちゃいけないって心から思っているんだ。けれど、ぼくはいつも思うのだ。悪魔のような軍部。傲慢な憲兵。罪のない民衆。全部嘘だろう?そんなことばかり言って、しまいには主人公に「生きろ!」なんて叫ばせるから、ぼくにはますますこの世界が虚構にみえてくる。この世界から闇を隠蔽しているのは誰だ。あの零戦のパイロットと、B29のパイロットの敬礼に気づかれると都合の悪いやつはどこにいる?このうすっぺらな世界を八つ裂きにしようとすることで右翼と呼ばれるなら大歓迎である。そんなものよりぼくは殺し合いの作法に興味がある。あの闇への敬礼に興味がある。






セックスなんてしたくない。君のことが怖いもの。


嘘つき。本当は私とセックスしたいくせに。私と消えてなくなりたいと思っているんでしょう?

残念ね。私は貴方じゃないわ。だからひとりで死になさい。