2019年4月1日月曜日

君の結婚とぼくらの青春に祝福を

一昨日結婚した友達が、式で「この歳になって気づくなんて遅すぎるかもしれないし恥ずかしいことだが、最近ようやく日々を過ごしてゆくことにささやかな誇りを持つようになった」と言っていた。

友達とは中学から一緒だが、仲良くなったのは高三の終わりからで、ハイデガーとかアドルノとか、そういう哲学書の感想を言い合える相手がお互いいなかったからだ。

彼はいつも「山田くん、もっと凄いところに行きたい。こんな下らないところ抜け出して、もっと哲学や思想の話をたくさん出来る奴がたくさんいるところに行きたい。だからぼくは頑張っていい大学に行くよ」と言っていた。

ぼくらはハイデガーもアドルノもよく分からなかったが、誰と誰が付き合ったとか、誰と誰が別れたとか、どこが年収が高い大学とか、どこが遊べる大学とか、そんなことばかり話している連中よりも自分たちは幾ばくかマシだと思っていた。実際それが「ほんの幾ばく」に過ぎないことは分かっていた。自分も自分がつまらないと思っている連中と大差はないことには気づいていた。本当に楽しい場所はどこにあるのか、本当に自分が居るべき場所はどこなのか、ぼくらには想像すらつかなかった。けれども、ここでないことだけは分かっていたのだ。

ほどなくしてぼくは受験に落ち、彼はK大に入った。ぼくは浪人をすることに決め、池袋をふらふらしながら勉強したりしなかったりしていたが、夏の終わりごろに彼から連絡があり「山田くん、ここも高校と変わらないよ。ぼくは仮面浪人をしようと思う」と言われた。

やがてぼくも大学に入り、彼は再受験をしてT大に入った。でも彼はやっぱり不満げだった。「山田くん、ここも同じだ。どいつもこいつも、下らない話ばかりしている。どこかに、本当に楽しい場所はないのか」ぼくもまた、大学が高校と大して変わらないことに気づいていたが、もう彼のようにそれを探す気にはなれなかった。多分、どこに行っても同じなのだ。「ぼくは外交官になる。それはここよりも更に選ばれたエリートが集まるところだ。そこまで行けば、きっと楽しいと思えるはずだ」ぼくはその考えを決して正しいとは思わなかったが、彼の気持ちには共感した。

それから彼は外交官になり、ぼくはバンド活動ばかりやっていたので疎遠になったが、彼がエジプトで催涙弾を食らったり、イギリスの大学で先生をしたりしているという話を風の噂で聞いた。ぼくはライブハウスでギターを叩いたり壊したりしながら、よく彼との記憶を思い出していた。ぼくらは哲学書を読むばかりでなく、一緒に靖国神社へ遊びに行ったりしていた。資料館で特攻隊の遺書を読んだりして、日本の戦争について話し合った。隣接している食堂で、海軍カレーを食べながら彼は言った。

「生きてる実感がさ、欲しいんだよ。あの時代に生きていたら、運命が初めから決められていたら、ぼくも生きている実感がしただろうか」

ぼくはギターを叩いたり壊したりして、ステージをゴロゴロ転がったりしながら、今、生きている実感があるだろうかと自問した。分からない。これが正しいとも思わない。ただ、これしか出来ない、こうするしかなかった、おまえもそうなんだろう?と思った。

Kくん、君の言った言葉を思い出す。その言葉ね、確かイチローも同じことを言ってたよ。村上春樹も言ってたな。どんな賞が取れたとか、取れなかったとか、外野はいつだってそんな下らないことばかり話しているけれども、自分はただ、日々をしっかり過ごしてきたことに、ほんのささやかな誇りを感じるって。

ぼくは君の奥さんのことをあまり知らないよ。でも、君にそう思わせた人なんだなってことは分かる。だって君がそんなことを言うなんて、思いもよらなかったからね。だから、本当によかったよ。結婚おめでとな。










2019年3月14日木曜日

夢十夜(第93夜)


夢の中で親父とケンカをした。

それで家を飛び出して、無性に走りたくなって山の中を駆け出したんだ。家が山の中にあったんだな。

ずっと下り坂で全然疲れなくて、結構な速度が出た。
左右にくねくね曲がる道をしばらく走ると、そこに爺さんとうり坊、要するにイノシシの子供がいた。

おれはあぶねえと思ってうり坊を避けたんだが、うり坊は何度でもこっちに向かってくる。おれは逃げ回った。

やがて爺さんが「どちらかが囮になるしかない」と言うので、それ以上行く必要もないかと思い、坂を戻ろうと思った。振り向くとそこは園児たちの群れで大変なことになっており、その中をかき分けながら進む羽目になった。

行きにはまるで気付かなかったのだが結構な急坂で、そこら辺の木の根やら石やらに両手をついて上る。

坂はどんどん急になりいよいよ園児たちの頭を掴んで行くしかなくなってしまったが、あっちは「お爺ちゃん何歳?」と呑気なものだ(いつの間にかおれは爺さんと同化してしまったらしい)。

ずっと上っていくと最後はハシゴを上るしかなくなって、何処からか「まだ上るぞ、スゲーぞあの爺さん」と声が掛かった。

91段、92段、93段、するととうとうハシゴの先の木の根元に、人一人入れるほどの穴があった。おれは助かった、と思った。



そこに入ると、妻が突然「横文字のキャッチフレーズが欲しいね」と言った。

それがどんなだったかは忘れたが、「ああやって森に入って、一人一人消えるようにいなくなっちゃうんだよね」「それで消えちゃった人たちが暮らす国があるんだよね」と言った。おれは「へえ」と答えた。








2019年2月23日土曜日

ナンバーガールに追憶を寄せて2

ナンバーガール復活のニュースに興奮したおれは、気づくと日記をしたためていた。先日の話である。ずっと何かを書くということに躊躇し続けていた自分が突然あんな風に語り始めたのかよく分からない。もちろん嬉しかったのだと思う。ナンバーガールは自分にとって性衝動と破壊衝動の象徴なのであり、それこそがロックンロールの全てである、少なくとも自分にとっては。恥ずかしい話だが、このニュースはきっと自分に「あの頃の気持ち」を思い出させてくれたのだ。

ぼくはもう十年くらい、書くということにずっと躊躇し続けてきた。何かを書く、言葉を発するということそのものが刃なのであり、決して完全には暴力と袂を分かつことが出来ないことについ思い馳せてしまい、気付けば興冷めしたようにはたと筆が止まるのである。何かを表明することは、誰かを傷つけることだ。たとえその言葉が誰かを救うかもしれなくても──もっともその考えが心底おこがましいのだが──、誰かを傷つけたことのエクスキューズにはならない。誰も傷つけないまま、暴力衝動と性衝動がとてつもない熱量によって閉じ込められた破滅的な磁場、ぼくはずっとその言葉を探して真っ暗な宇宙をさまよっている。そうしてかれこれもう十年も経つ。

ロックンロールなんてもう流行らないのかと思っていたと書いた。現代においては破壊衝動を持つこと自体が罪になりうると書いた。破壊的な衝動のないロックンロールなど、ロックンロールと言えるだろうか。どれだけ巨大な爆音をマーシャルから轟かせても、どれだけ過激な言葉を曲中に散りばめても、そこにロックンロールの神は降りない。そういえば、初期のエレファントカシマシのライブは、それはもう緊張感に満ちたものだったと聞く。時にはミヤジが血走った目のまま無言になり、何分も演奏が止まることもあったという。客の方もいつミヤジにぶん殴られるか分からない、あるいは客の方こそぶん殴ろうとしてたのかもしれない。ヒリヒリとした時間は凍り付いたまま、唾を飲み込む音すら聞こえる。ロックンロールとはきっとそのように細く張り詰めた、美しいワイヤーのようなものだ。いつ切れるか分からない、余りに細いワイヤーが私たちの神経を異常なまでに研ぎ澄ます。敏感にする。鼓動や吐息が爆音のように聞こえてくる。爆音とは決してデジベル数に変換できるような、数値的音量のことではない。

ナンバーガールドラムス・アヒトイナザワが、レイシスト(人種差別主義者)であると批判を受けているようだ。政治的に過激な歌詞や、彼がフォローしている人物が問題だという。ぼくには一体どこが差別的なのかよく分からなかったが、許さない人はどんなことも許さないものだ。

人種差別について考える。たとえばぼくが外国の学校にいて、ぼくが東洋人だという理由でぼくの母を侮辱したヤツがいたとするだろう。ぼくはソイツを殴らなければならない。どんなにソイツが自分よりカラダがデカくて、筋骨隆々で、州大会でチャンピオンをとったこともある、ボクシング部のマイクタイソンばりの黒人だったとしても、ぶん殴らなければならない。勝てないとわかっていても、わからせるまで絶対にやらなければならない。それは個人の誇りをかけた戦いだ。覚悟と勇気をもってやりきらなければならない。場合によっては、ナイフを持ち出さなければならない。彼がレイシストであるかどうかなんてことは、ぼくにとっては1ミリも問題ではない。問題は、彼がぼくの母を侮辱したことにあるのだ。そこに政治や社会の問題など持ち込まれたくない。

つまるところぼくにとってそれは、徹底的に個人的な問題だ。ぼくの彼に対する怒りは、「レイシスト」なんてよく分からん横文字のレッテルに収まってしまうほどぬるくはないのである。そして、ぼくはこうも考える。彼がぼくの母を侮辱したからと言って、州大会チャンピオンの座を、はく奪されるべきではない。なぜなら、そんなことをしたからといってぼくの怒りが1ミリも収まるものではないし、大体そんなものをいくらはく奪してみたところで、彼が圧倒的に強いボクサーであることは、何一つ否定できないからだ。例えば彼が、チャンピオンの座をはく奪されたくないからという理由で、自分の発言を取り下げたとしよう。事件は表面的に解決を見るかもしれないが、そんなことでぼくは決して納得しないし、彼もいずれまたどこかで同じようなことをやるのである。だから、ぼくは彼を殴る。99%返り討ちだとしても殴る。世間や社会のことなど関係ない。彼が自分の言ったことを理解するまで、分かり合えるまで殴る。それ以外に、この問題に解決はない。

そうやって、返り討ち覚悟で自分より強いやつを殴ろうとしに行く奴のことを、必ず誰かが見ていると、ぼくは信じている。信じているので生きていることが出来る。しかし誰が?ボクシングの州大会チャンピオンよりも強い誰かだろうか?お天道様?それとも──そう言って差し支えなければ──神だろうか。

誰かがぼくの消しゴムに「しね」と彫った。上履きに母さんがマジックで丁寧に書いてくれたぼくの名前に、上からバッテンがされていた。体育から戻ってきたら、自分のお弁当が机の上にひっくり返されていた──全部かすれてとうに霧のようになってしまった、遥か彼方の記憶である。どこにも居場所がないと、ヘッドフォンをしたままいつも伏し目がちに歩いていた俺は、やりきれない気持ちになったとき、何度もロックンロールに勇気をもらった。ロックンロールを聞けば、いつだって俺はヒーローだし、革命家だった。ロックンロールは、臆病者には何もしてくれないが、弱くても立ち上がろうとする者のことは絶対に見捨てない。「99%負け戦でも、最後まで立っていて一矢報いてやれ。そうすればお前の勝ちだ。たとえ死んだとしても、おまえは人生に勝ったんだ」あのときおれの耳元でそう囁き続けたロックンロールの神を、おれは未だに信じている。



2019年2月15日金曜日

ナンバーガールに追憶を寄せて

おれは17歳のときにはじめてナンバーガールを聴いたんだけれども、本当の意味では初めて刺さったロックンロールかもしれなくて、それは「なんてカッコいいんだ」と思うと同時に、「なんて気持ち悪いんだ」という気持ちも少なからずあったように思う。向井秀徳の歌はとてつもなく甲高いスネアの音と、ごん太のモズライトベース、轟音をかき鳴らす金属じみたギターの向こう側でかすれるように風景の中の少女への憧憬と性的衝動への自問自答を叫ぶといったもので、まだ今ほどオタクが市民権を持っていなかった当時、少女に異常な執着を持つ向井の歌詞は客観的に見れば変質者以外の何物でもなく、それは一介の男子高校生がかのバンドが好きということを公言することを憚るのに充分な理由であったように思う。(TLが「あのころナンバーガールを聴いていたやつなんて全然いなかったのになんでこんなに盛り上がっているんだ」となっているのはこれが一因であるような気もする)。

いずれにせよ自分にとってナンバーガールは「ロックンロールってなんて恥ずかしくて、本当に恥ずかしいものはなんてカッコいいんだろう」ということを教えてくれた先生であり、そしてその恥ずかしさの理由は、ナンバーガールの音楽は向井氏が本来目も当てられない代物であるはずの自分の性的衝動と率直に真正面から向き合ってひねり出した音であるというところにあると考えられ、そういう意味で、生涯童貞を貫き妹への憧憬を文学にしたためた宮沢賢治の書く物語たちにも似ているかのように思えた。自分はナンバーガールや宮沢賢治を通して性的衝動や暴力衝動、つまるところの「リビドー」と言われるものが恥ずかしい、みっともない、醜いばかりのものではなく、こんなにもカラフルでサイケデリックな世界を描くことがあるのだということを知った。そのとき自分の人生は文学とロックンロールに捧げることになるだろうということをおれは天啓として受け取ったのだった。

平成も終わる今日2019年の世界において、性的/暴力衝動、つまるところのリビドーは、社会より無用の長物として烙印を押され、それをうまく扱えないことは彼が畜生にも等しい人間であるということの証明と化しつつあると、誰かがうそぶいていた。そんな中、ロックンロールといういわば暴動のイミテーションともいえる衝動音楽は次第に行き場所を失い、時代遅れの産物として息絶え絶え虫の息、博物館入りも目前の代物なのかもしれない。にもかかわらず、ナンバーガールがこんなにも根強く人々から支持され、その復活を歓喜の声をもって受け入れられていることは、ある種宗教的奇跡の光景のようにすら見える。「こんなにも、こんなにもロックンロールを未だに信じている連中がいたのか」とおれは流れるタイムラインに目を丸くし、舌を巻いている。

歳を追うごとに一人、また一人と友人たちがバンドをやめていった。それはどこをどう切っても、仕方のないことである。誰もが自分の人生を、ギリギリの決断の末選び取っている。他人がどうこういうものではないことは明白だ。ましてやロックンロールは芸術である。勝手にやって勝手にやめるというのが道理というものだろう。そんなことは百もわかっている。おれは今そんな話をしているのではない。ひょっとしたら寂しかったのかもしれない。初めてナンバーガールを聞いた帰宅ラッシュの東急東横線の中、「自分だけのロックンロールを信じる」と誓ったあの気持ちを、決して忘れたわけではない。しかし二十年近くも経てば、あの時信じた神が、本当に命を懸けるほどのものだったのか、それとも若者によく見られる一時的な情緒不安定やメランコリーに類するものに過ぎなかったのか、つまるところただの幻影にすぎなかったのか、次第に不確かなものへと変わっていく。性や暴力の衝動を美とするなんて趣味はどうかしている、いくら芸術家の手を経ても暴力は暴力に過ぎぬのであり、いくら美に描き変えところで倫理的に許されるものではないのだぞと脅迫する声は、日を追うごとに近くなってくる。軍靴の音が聞こえてくる。自分は流されてゆく。そんな感情はいっそなかったこととし、追憶と余生をもって大人の証としようとする。ついにはとうとう一度信じた神を手放そうとする。そしたらいったい自分に何が残るのか、きっと何も残らないさァ。生活して、排泄して、死ぬ。すべての人間はそうして生きてきたじゃないか。と、そこまで思いつめてもどうしても棄教できなかった信仰なのである。自分にとって、ロックンロールという神は。



2018年7月18日水曜日

大麻考

ぼく自身は大麻をやったことはないのだけれど、昔よくやっていたという友達がいる。

大麻を吸うとカラダから魂が抜け出て、だだっ広い宇宙空間のド真ん中に連れて行かれるという。そうして、"すべて"が分かるのだそうだ。"すべて"というのは、言葉の通り"すべて"だそうで、人生の意味から宇宙の真理までの"すべて"が分かってしまうというのだ。

ところがこの"すべて"、大麻が抜けるとスッカラカンに忘れてしまうらしい。勿体ない、覚えていれば教祖にもなれたろうに。諦め切れない彼は思いつきで一計を案じた。手元に鉛筆とノートを置いたまま葉っぱを吸って、"すべて"が分かった瞬間に書き留めようというのだ。

さっそく煙をくゆらせて天井のシミを見つめていると、間もなくその瞬間はやって来て、次第にシミがそこにあった意味、それが伝えようとしていること、シミと自分の1000000年にも及ぶ因果などがゆっくりと了解されてきた。なるほど"すべて"は初めからそこにあったのだと彼は理解した。早速ノートに書き留める。「すべてが分かった。すべては初めからそこにあったのだ」

さて、正気を取り戻してノートを見てみるとなんのことはない、ミミズが捩れたような文字でたった一行「すべては初めからそこにあったのだ」とあるばかりだ。これには随分ガッカリしたそうだ。

大麻をやっているときの感覚は、夢の中に近いらしい。ある程度の明確な意識があるという点においては明晰夢というのがより正確だろうか。魂が肉体から幽体離脱して、自由に物事を考えはじめる。「質量のない世界では、物理法則に縛られたこの世界とはまるで考え方が異なるんだ」

「あの世界では」半信半疑で聞いているぼくを尻目に喋り続ける。「どんな些細なことも感動的だし、全てに意味があるんだ。そして、どうしてぼくらが今、そう感じられないかと言うと、忌々しいこの肉体が、ここに在るからなんだ。ぼくらは骨の軋みや血液の逆流、内臓の膨張、凡ゆる重さの在ることに意識を混濁させられて、この世界を何一つ正確に感じ取ることは出来やしない。マリファナはそれを解放してくれるんだ。重さがなければ"すべて"が了解される。そう、本当に"すべて"なんだ」

大麻をやって魂が抜ける度、彼はいつも「ああ!そうだったのか!」と叫んでしまうと言う。なぜこんなにも簡単なことが今まで分からなかったのかと、自分で気づいて一人で驚いてしまうのだ。そして何となくだが、もう自分は何億回もこんなことを繰り返していて、毎回魂が抜ける度に今は何億何万何千回目で、「"また"だ!またオレは、生きているうち気づけなかった!」と思うのだそうだ。

宇宙の中心に引き摺り出されて、創造神の前で彼は問われる。神さま:「何回目だ?」彼:「72億5386万0294回目です」神さま:「また気づけなかったな」彼:「ハイ…」重さのある内にこれに気づけないのがカルマというもので、人はそれぞれ重さのある内に自分のカルマを克服する必要がある。そして、全部のカルマを乗り越えたときにようやく解脱するんじゃないだろうか、オレはそう思うよ、だって神さまに「やり直し」って言われたもん、それだけは覚えてるもん、と彼は言った。





2017年4月22日土曜日

蕎麦屋


地元には愛すべき蕎麦屋があって、わざわざ遊びに来てくれた友達を時々連れていく。

新聞を読むおじさんから家族連れに部活帰りの高校生、果てはおひとりさまのOLまで、食事時はいつだって込み合っているから、お昼下がりとか、夕方とか、少しずれた時間帯に行く。

玉子焼きを注文して、日本酒を一杯やってから(王子は玉子焼きが名物なのだ。たぶん語呂合わせだと思う)しばし歓談して、盛り蕎麦を食べる。奮発するときは天ぷらの盛り合わせを食べる。誰かが天ぷらは揚げたてを、親の仇のように食えと言っていた。実際、蕎麦も天ぷらも着いた瞬間に食べるのがよいので話はそこで途切れてしまう。そうして、食べ終わったころには何を話していたかも忘れてしまう。その感じがいい。議論に迫中して味わうことを忘れるなんて無粋もいいところだ。そういうところが蕎麦が粋な食べ物だと言われるゆえんに違いない。得心してすする。

ネギについて。通は蕎麦湯に取っておくなどと言うが、ぼくは気にしない。大した量でもないので、つゆに入れてしまう。ただワサビを解くのだけはよくないと思う。香りが飛ぶ。直接少量を箸にとり、蕎麦につけて食うのがよろしい。取る量は二三本がよいなどというが、ここもさほどこだわらない。口の中でモグモグやってもいいと思う(´~`)モグモグ

蕎麦には付け合わせのお新香が付くが、冬には白菜で、夏にはぬか漬けのきゅうりに代わる。醤油を二、三滴かけて食べるのだが、一度誤ってソースをかけたことがある。あれは悲しかった。しかしこの蕎麦屋には竹輪揚げがあるのだ。竹輪揚げがあるなら、ソースが置いてあっても仕方がない話だ。あきらめて駄菓子風の味付けになったぬか漬けをたべる。

実は竹輪揚げどころか、ハムカツも、こんにゃくの田楽味噌もある。しかしカレーはない。これはギリギリのところだ。カレーやラーメンがあったら、立ち喰いそばになってしまう。でもハムカツや田楽味噌なら、蕎麦屋がやってても、サービス精神ということで許されるのではないだろうか。ぼくはこの蕎麦屋が好きで、この町の人間もこの店を愛している。それでいいんじゃないだろうか。

ところで一駅向こうの街に素晴らしくいい蕎麦屋が出来たというので行ってみたことがあるが、あれは馴染めなかった。三ツ星か何かで修業したという板前が作る?本格的な蕎麦屋という触れ込みで、まだ開業したばかりの店前には行列ができていた。蕎麦が出てきて驚いたのはつゆが出てこないことだ。蕎麦そのままの味を味わってほしいから、塩で食ってほしいという。面喰いながらも塩だけつけて食ってみると、確かに恐ろしく美味い。なんというか、甘みがある。周囲に座っている人もみな美味いと言っていた。

すごい蕎麦屋もあったものだなあと思ってお茶をすすっていると、後ろの席の声が聞こえてきた。テレビ局のプロデューサーらしき人が、どこかのお偉いさんらしき人を接待しているらしい。ここの店主がいかにすごい人で、使われている蕎麦がいかに貴重か、この店が経営者の中で有名な某雑誌の中で紹介されていたこと、さらには蕎麦湯の漆が如何にエレガントかまで、立て板に水を流すよう話していた。そんなにいい店だったのかと驚いた。冷静になってみると、座っている人に地元の人は誰一人いないようだった。そのあとお会計でもう一度驚いた。クレジットカードで払った。

それに比べて地元の蕎麦屋は特に語るべきところがあるものというわけではないがやはり落ち着く。なにより地元人に愛されているというのが良い。蕎麦は必ずここでなければならないというわけではまるでないのだが、小腹が減るとなんとなく立ち寄ってしまう。店主の感じもえばってるわけでなく、かといって工業的に蕎麦を作っているという感じでもない。「めっちゃ美味しかった」と感想を言うと「本当」と顔を少し赤らめ、嬉しそうにする。彼は蕎麦を作ることに誇りを持っているが、決して自意識を持っているわけではない。それがいい。この店の店主にとってはたかが蕎麦、されど蕎麦なのだ。

腹いっぱいになり、満足して友達と歩いているとこんな話になった。テレビについて。4Kテレビは気持ち悪い。自分の視力が5.0くらいあるんじゃないかというくらい、あらゆるものが鮮明に見えてしまう。人間の目は本当はこんな風に出来ていない。例えばぼくが仕事で漫画を描くとき、あえて背景は描かなかったり、彩度をだいぶ落としたりする。キャラクターが際立って見えるようにするためだ。恐らく人間の目はこれに近い。必要なところ以外はぼんやり見えるようにできている。しかし4Kは全部が主張する。背景がうるさい。くっきりしすぎている。

なるほど、と友達は言う。「少し違う話かもしれないが」と切り出す。音楽について。すべての楽器がよく分離して聞こえることは一見、無条件でよいことのように思われがちだが、それは本当に音楽的だろうかと。実はレッドツェッペリンのドラムは、リボンマイクひとつ(ひとつ!)で録音されていることがあったりして、決して分離がよい、くっきりした音とは思われないのだが、なんとも言えない熱量をかもしだしているじゃないか、と。

ぼくは応える。ビーチと温泉で知られるとある観光地に住んでいた子供のころ、海沿いのハイウェイをドライブしながら聴いていたカセットの音が好きだった。カーオーディオは決して音質が良いとは言えないし、外からは風の音がひっきりなしに入ってくる。にもかかわらずあの音はたまらなく感動的だったし、今もよく覚えている。それは単なるノスタルジーなのだろうかと。

二人の話のテーマは少しずつずれて、当てどなく綺麗な図形を描いていく。

ぼくらは鮮明なものよりも自然なものが好きなのかもしれないな、と言うと「ライトをばんばんあてた最近のグラビア、全然ボッキしないんだよねー」と友達が笑った。「蛍光灯だもんなぁ、影がないんだもの。ぺったりしててさ、確かに美人なんだけど、見るからに作り物で、あれならオリエント工業の方がいい」「わかる」ふたりで笑っていたら、子供が足元を駆けていった。もう春だ。

「おれはさ」ライダースジャケットの内側を見せながら友達が言う。「革ジャンが好きなんだけど、革ジャンって、バイクに乗るために作られたものなんだよ。それがさ、シルエットがスマートすぎると、なんか違うって思うんだよな。だってバイク乗りづらいもん。本物のヴィンテージはちょっと野暮ったいんだよ。そういう野暮ったいのを、ちょっと腹の出たテキサスのおっさんが、それしかないから着てる、そういうのがいいんだよ。どんなことも本来の用途を忘れたものは美しくないんだ」

「なるほど蕎麦屋に通ずるものがある」

「蕎麦屋って、さっきの蕎麦屋?」

「そう、あの蕎麦屋は美しいんだ。なんでって、所詮蕎麦はファーストフードだよ。腹を満たすために食うのであって、芸術でも娯楽でもない。あの蕎麦屋はそれを分かっている」

「人間は動物であることを忘れると、病んでくるんだよな」

ぼくは自分がサルとあまり変わらないってことを、あまり忘れたくないと思う。だけど人工的なものばかりで作られた都市の中で暮らしていると、だんだん忘れていってしまう。だから革ジャンは地面を転がってもよいものを着て、蕎麦は空腹を満たすために食べていたいと思う。そうしたら、ギターも自然な音が鳴る気がする。言葉にするのが難しいのだけれども、あの蕎麦屋のような、テキサスの腹が出たおっさんが着てる革ジャンのような、そんな感じ。




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2016年9月13日火曜日

透明な日


最近王子神谷ずっと帰らんかったんだけれど、どうしても曲作りができなくて久々に帰ったら一瞬で出来た。



ぼくの家のすぐ裏には墨田川があって、もう少し歩くと荒川があって、とても気持ちがいい。もうこの土地には十年以上住んでいるけれど、ぼくはこの町が本当に好きだ。

川のほとりは、あまりに何もなさすぎ色んなことが次々頭に浮かんで、あっという間に夢の世界へと連れ去ってくれる。








この道はどうだろう。この先にはいかにも「何もない場所」が待っていそうではないか。東京でこういう場所は珍しい。きっとぼくは何かにいざなわれて、戻ってこなくなるのだと思う。






この町はアイストップがない。歩いていても情報がない。だからついつい、ウッカリ、ハカラズモ、フホンイナガラ、自分の思い出や記憶、もういない「だれか」と対話する羽目になる。

人間は話し相手がいないと、どこからでも引っ張り出してくる。そう、それが妖怪だろうと幽霊だろうとおかまいなしだ。そのくらいひとはさみしがりやだ。




この道を逝ったその先でも、ぼくは生き延びていけるのだろうかと考える。あちら側では、すべてがアベコベにひっくり返っていると人はいう。ひっくり帰った場所でも、ぼくはうろたえながらも、ちゃんと生きていけるのか、考える。ぼくはあまり、余計なものを着たり、買ったりしたくはない。それはあちら側では通用しないのではないかと思ったりする。どんな場所でも、どんな世界でも、ぼくらは生き延びなければならない。だれかに呼び戻されてしまう前に、携帯をおやすみモードにする。









あちら側には、もういなくなってしまったものや過去や思い出が全部そのままに(ひとつ残らず!)いて、それでいてケンカすることなくみな仲良く暮らしている。


ぼくもいつか仲良く暮らせるようにと思って、この川のほとりを散歩している。