2016年9月13日火曜日

透明な日


最近王子神谷ずっと帰らんかったんだけれど、どうしても曲作りができなくて久々に帰ったら一瞬で出来た。



ぼくの家のすぐ裏には墨田川があって、もう少し歩くと荒川があって、とても気持ちがいい。もうこの土地には十年以上住んでいるけれど、ぼくはこの町が本当に好きだ。

川のほとりは、あまりに何もなさすぎ色んなことが次々頭に浮かんで、あっという間に夢の世界へと連れ去ってくれる。








この道はどうだろう。この先にはいかにも「何もない場所」が待っていそうではないか。東京でこういう場所は珍しい。きっとぼくは何かにいざなわれて、戻ってこなくなるのだと思う。






この町はアイストップがない。歩いていても情報がない。だからついつい、ウッカリ、ハカラズモ、フホンイナガラ、自分の思い出や記憶、もういない「だれか」と対話する羽目になる。

人間は話し相手がいないと、どこからでも引っ張り出してくる。そう、それが妖怪だろうと幽霊だろうとおかまいなしだ。そのくらいひとはさみしがりやだ。




この道を逝ったその先でも、ぼくは生き延びていけるのだろうかと考える。あちら側では、すべてがアベコベにひっくり返っていると人はいう。ひっくり帰った場所でも、ぼくはうろたえながらも、ちゃんと生きていけるのか、考える。ぼくはあまり、余計なものを着たり、買ったりしたくはない。それはあちら側では通用しないのではないかと思ったりする。どんな場所でも、どんな世界でも、ぼくらは生き延びなければならない。だれかに呼び戻されてしまう前に、携帯をおやすみモードにする。









あちら側には、もういなくなってしまったものや過去や思い出が全部そのままに(ひとつ残らず!)いて、それでいてケンカすることなくみな仲良く暮らしている。


ぼくもいつか仲良く暮らせるようにと思って、この川のほとりを散歩している。



2016年5月31日火曜日

悲鳴は解散しました




2016年5月23日の林恒平の永眠をもって悲鳴は解散しました。
この先未来永劫、永久に復活はありません。




一昨日までずっと夏のように暑く、晴れわたっていたのに、昨日今日と急に涼しくなって、今はぽつぽつと降り出して、なぜか漠然と、ああ、たぶん雨は、きっと人が死ぬたびに降るんだなあと思いました。


悲鳴は2011年11月の自主企画を最後に、事実上の活動停止のまま、なんのアナウンスもなしで来ましたが、それはまたいつか、なんとなくまた全員でスタジオに入って、自然に音を出したらその瞬間から、何か始まるんじゃないかなんて、心のどこかで思っていて、いつかってなんだよって今はすごく思う。


今、地元のファミレスで、彼が最後に遺した音源を聴きながらこれを書いています。



十九のとき大学で初めて出会って、彼はソニックユースが好きで、すごいノイズの出し方について武蔵境の庄屋で延々と語り合ってから、一緒にバンドを始めて、いつの間にかお互い三十二になってしまった。


三十までに死ぬと言って君に呆れられていたぼくが、君の葬式で弔辞を読むなんてあの頃は夢にも思わなかったよ。なんだか十九で出会った日から今日までのことが、全部夢だったような気すらするな。


告別式が終わってから、円盤に行って、すごく久しぶりにラムコークを飲んだよ。

ここから全ては始まったんだよな。



口下手であんまり人とうまくやれない君と、なんとなく集団行動が苦手なぼくは、うまく大学生活に馴染めなくて、本当はキラキラした青春に憧れながら、ちっとも興味がないようなフリをして、大学の外でバンドを組んだんだ。


今思えば、本当はぼくらは、大学のバンドサークルに入って、新しくできた友達とコピーバンドをして、夏になったらみんなで海に行って、バーベキューをして、外語祭でお酒飲んで、ときどき恋愛したり失恋したりしながら、卒業して、就職して、たまに同窓会したりしたかっただけ、そしてぼくらにはその勇気がなかっただけなのかもしれないな。


コマツさんが悲鳴をいいバンドだって紹介してくれてさ、このお店でCDを置かせてもらって、なんだかフェスに出してもらえることになって。今まで自分がロックヒーローだと思ってた人たちと突然一緒にライブすることになって。俺なんかFも弾けなかったのに、田口さんは何考えてんだって。

どうせダメ元だと思ってもヤケクソでやったら、少しずつ、局所的にだけど人気が出てさ、その年の円盤の年間チャートで1位取れて。おれさ、あんときあんま言わなかったけど、生まれてはじめて人に認めてもらえたようで、すごく嬉しかったんだよ。音楽に一番なんてものないなんて当然だし、音楽チャートほどアホらしいものないなんて分かっちゃいるけどさ、それでもなんだか、初めて自分が、世の中に受け入れてもらえたようで、めちゃくちゃ嬉しかったんだわ。あー、おれなんかでも生きてきた意味あったのかなあなんて、もしかしたら、友達とご飯食べたり、遊びに行ったりする、そんな普通の生活が、おれにだって出来るのかもしれないなんて。


いつの間にかこの店にくれば、売り上げでお小遣いが貰える程度になっていて。


それで大学時代のぼくは毎日のように、退屈と憂鬱から逃れるように円盤に来て、昼からラムコークをあおっていた。


店主の田口さんの話はいつだってめちゃくちゃ面白くて、飼い主が犬にラジオをしょわせてステージに上らせるだけの犬ラジオというバンド(バンドなのか?)の話とか、ライブ中にギターアンプに小便をかけて壊し出禁になったバンドが買い取らされたアンプを道頓堀に投げ込んだ時の話とか、魚屋で仕事してた頃、泥酔した板前がときどき自分の手とイカの区別がついてなくて血まみれのイカの塩辛を出して来るって話とか、そんなことばかり聞かせてくれて、ああ、自分はなんてくだらないことに憂鬱を感じているんだろう、世の中にはこんなに無茶苦茶な人たちもいるんだ、本当は、どんな生き方をしたって生きていけるんだって思うと同時に、こんな無茶苦茶な人たちがいる中で、本当に自分たちだけの音を出すためには何をしたらいいんだろうって、真剣に考えさせられもした。そういうことを、田口さんは説教ではなく、ただただ面白い話をしてくれるだけで、たくさん教えてくれた。ぼくにとって円盤は、大学よりもはるかに真剣になれる人生の授業だった。


田口さんの話を聞きながらぼくは、ロックの世界ってなんてふところの広い世界なんだろうと思った。ふつうの学校、ふつうの会社、ふつうの世間になじむことができない、出来そこないのぼくらのことを受け入れてくれるロックの世界は、今までずっといじめられっ子で、うまく「みんな」の仲間に入れない、そしてこの先もずっと日陰者として、当然一生愛してるなんて言ってくれる人も居らず、人の目を気にして目立たぬように生きていかねばならないはずの自分も、ひょっとして、ひょっとすると、この世界だったら一発逆転が狙えるのかなんて思った。


だったら命をかけてもいいと思った。どうせこの先何もいいことがないのなら、死んだっていい。一度も自分を認めてくれなかったこの世界を、命をかけて全否定したい。三十以降の寿命を全部あげる。だから神様、この世界に、どうか一矢だけでも報いさせて下さいと。きっとこの世界は、そんなことじゃビクともしないことなんて初めから分かってた。それでもたった一瞬だけでも革命を起こしたかった。全ての価値観をひっくり返して、ほんの一瞬だけでもこの世界をびっくりさせてやりたかった。


そう思ってステージに上った。いつだって膝はガクガクして、このステージがダメだったらもう俺は死ぬんだと思っていた。本当のことを言えば、ぼくは一度も来てくれたお客さんに感謝できたことがない。ここは処刑台で、この人たちは見世物を見に来ているんだと思った。ぼくはピエロのふりをしたテロリストになったつもりで、血まみれになってステージを転げまわっていた。これは「ふつう」の人たちが支配する、「ふつう」の世界に仕掛ける戦争なんだ、いつもそんな妄想に取り付かれていた。もちろん戦争だから、負けたら死ぬ。音楽の喜びや充実感なんて、一度も思ったことはない。「ふつう」の世界にとり殺されるか、ぼくらが「ふつう」の世界を殺すか、どちらかしかないと思った。そんなだから、ライブはただただ苦しいだけだった。 でも、不思議とライブが終わると、ありがとうって言いながら、泣いている人もいた。ぼくはなんて返したらいいのかわからなかった。


ぼくはだんだんおかしくなっていった。この世界のすべてが敵になっていた。いつの間にか愛した人もバンドのメンバーもみんな敵になっていた。ぼくは愛し合った人をさんざん傷つけ、奴隷のように扱い、精神的に殺した。そうしなければ世界に押しつぶされそうだった。そんなおれを、林君は人でなしだと言った。ぼくはずっとそれを許せずにいたし、そして君にそう言わせたことを、ずっと後悔し続けていた。


ぼくらは地獄を見た。




いつの間にか敵は「ふつう」の世界じゃなく、悲鳴そのものになっていた。ぼくらはいがみ合って、 憎み合って、何度も傷つけ合った。 おれは林くんの言っていることがさっぱり分からなかったし、林くんもまたぼくの言葉を、全く理解できないといった。最後の最後に林君は「人でなしとはバンドはやれない」と言った。



そうして悲鳴は崩壊した。ぼくはようやく自分が何をしたのか気付いた。




三年前に、林くんが音楽の専門学校に入学したのを知った。


おれは素直に、本当にすごいと思った。三十になって、十八の連中と一緒に肩を並べて真剣に学ぶというのだから。彼は当然のように二年間連続で首席をとって、その時一緒に演った連中と、一緒にバンドを組んでいた。雨の花束という。ぼくは「ああ、こいつにはもう、くだらないプライドとか一切ないんだ、ただただ真剣に音楽に、自分に向き合いたいだけなんだな」と思った。ぼくはそんな林くんをすごくカッコいいと思い、尊敬した。


それからひと月かふた月に一回、二人でお酒を飲むようになった。話していることはいつも本当にたわいもない会話で、この酒美味しいなぁ、とか、同級生の誰それは何してる、とか、何のエフェクターを買ったとか、そんなことばかりで。昔のように、死ぬとか、生きるとか、そんな話は一切しなかった。林くんが命がけなのは、何も言わないでも全部伝わったからだ。


あるとき林くんが、自分がバンドのリーダーになって、初めてガンディ君の苦しみに気付いたと言った。それでなんだか、少しだけ泣いた。もしかして、自分ももう一度バンドをやってもいいのかと思って。



悲鳴が崩壊してから、きっと永遠に許されないと思って生きてきた。


何をやっても灰色だったし、人から感謝されても、自分は人でなしなんだからと、顔では笑っても、すぐに打ち消してきた。こんな自分が、人前に立って歌ったり、人と当たり前に恋をしたり、人と喜びを分かち合うことなんて一生、絶対に許されないと思った。ただ人の幸せだけを願って生きて、いつかお迎えが来たら、そっとひとりで死ねばいいと思っていた。


だんだん、林くんと心が通じ合うようになってきた。彼との最後の二年間は、ただ静かに吉祥寺で酒を飲むばかりで、本当に穏やかで、幸せだった。時には、二人の飲み会に共通の友達を招いたりもした。あの誰にもすぐ悪態をついて無言になる林くんが、ガンディ君みたいにちゃんと人に心を開ける人になりたいなんて言い出したからだ。そんなことを思ってくれていたなんて、十年前は全く気付かなかった。ぼくらは失った時間を取り戻そうとするかのように、ようやく打ち解けて話した。たまには下らない冗談も言った。林くんと冗談を言い合うなんて、悲鳴をやっていた頃には考えられなかった。あの地獄のような過去が嘘のような、本当に穏やかで幸せな時間だった。


林くん、あの頃のぼくらは今に革命を起こし、世界で一番有名なバンドになって、どこにいっても受け入れてもらえる、優しくしてもらえる、ちゃんと顔をあげて上を向いて歩ける、そうしてこんな陰鬱でみじめな現実とは永遠にお別れして、当たり前の生活を手に入れられるなんて、そんな風に思っていたよね。遥か彼方のまだ見ぬ栄光に手を伸ばし、目の眩むような空を見上げ続けて、確かにぼくはあのとき、目の前にある本当に大切なものを何一つ大事にできなかった。そうして本当に大事なものを自分から全て壊してしまった。本当にくやしくてくやしくて涙が止まらないよ。ずっと後悔しているよ。あのときから。ずっと。ずっと許されないと思ってたよ。


病院で君の姿を見た時、おれは本当に信じられなかった。どうしてぼくではなく、君がそうしなければならないのかと。君もまた壊れかかっていたんだって、おれはまた気付けなかったわ。いつだって自分のことばかりな自分が本当に嫌になる。たくさん管のついた君は何も語らないし、何を言っても返してくれなくて、ぼくは本当に自分がこの世界のどんな小さなことすら何一つ変えられないってことを思い知ったよ。そうだな林くん、まるでこの世界は映画を見ているようだね。ぼくらはただ見続けることしか出来なくて、スクリーンの向こう側がどんなことになっていても、手を伸ばすことしかできない、そしてその手は決して向こう側には届かないんだ。


君は映画を観るのをやめて、ぼくはまだ見続けている。
どちらを選んでも、残酷なくらい当たり前に太陽は昇り、この世界は続いていくんだ。



あのやたら暑かった春の間、痩せ細った君の足を拭いていたら、君はぐぐっと体をよじらせたことがあったよね。ぼくらは林くんが応えたって大喜びで、もしかしたらどうにかなるんじゃないかなんて思って。次第にお見舞いの人も増えて、雰囲気も暗いばかりじゃなくなって、日曜日にはいつの間にかたくさんの人が集まって、待合室でみんなで記念撮影したり、お菓子を食べてお茶したりしながら、がんばれって、暗い顔じゃなくて応援できるくらいになったら、安心してしまったのかな、その翌日に君は行ってしまった。暖かな陽気の、ポカポカした日だったな。そのとき気づいたよ。あーそういやそういう奴だったなって。その場を離れないでじっと見てて、みんながもう大丈夫って分かったら、誰にも声をかけずに一人で帰っちゃう。みんな後になって気づくんだよ、あれ林どこ行った?ええっ、もう帰った!? 話したかったのに!ってさ。

君が体をよじらせたことはさ、確かに医者から言わせればただの反射運動なのかもしれないよ。でもおれは、誰がなんて言おうが絶対に君がぼくらに応えたんだって思ってるよ。真っ暗な宇宙の中で迷子になっている君が、もう届かなくなるその前に、微かに聴こえた交信に、必死で応えてくれたんだって思ってるよ。おれはさ、もしかしてたったの1ミリでも、このバカみたいな世界を変えられる可能性があるなら、スクリーンの向こう側とこちら側が交差する、そんな嘘みたいな奇跡があるというのなら、別に信じていたっていいんだって、君がいなくなった今でも、確信を持って思うよ。それがたとえ、医者や科学が何の意味もないって言ったとしたって、ぼくはどうでもいいんだよ。


会場でさ、ずっと君のうたが、流れていたじゃない。君は真ん中で眠っていて、黒い服を着たたくさんの人が泣いていて、君は「きみがいないと張り合いがないよ」って歌詞、本当にバカじゃないの。本当にバカじゃないのかと思うよ。おれも君も。本当に。


林くん、ぼくは思うよ。たとえ君とすごした時間のほとんどが、見えない何かをつかもうと、いたずらにもがいてあがいて苦しんだ、地獄のような時間だったとしても、ぼくにとっては本当に、何物にも代えがたい本当の宝物だったんだ。ずっと言えなかったけど、本当に本当だよ。


式が終わって、円盤に行った。田口さんはずーっと黙っていた。いつの間にかぼろぼろ涙がこぼれてしまって、泣きながらラムコークを飲んでいたとき、はっきり、ああー、おれら、負けたんだなーって思ったんだ。世界に戦争を仕掛けるつもりで始めた悲鳴ってバンドは、ここで始まってここで終わったんだ。十三年だよ。あっという間に過ぎ去ってしまったよな。ずっと終わりにしたかった夢を、ようやく終わらせることができたよ。

本当は「普通」の人なんて、どこにもいないなんてこと、とっくに気付いていたんだ。


おれらのやったことは、1ミリでも何か世界を動かしただろうか。誰かに影響を与えただろうか。きっと何も変わってないと思うよ。おれは本気でやれば、負けてもいつか何かの肥やしになるなんて言葉はまったく信じないよ。何が起こっても世界は残酷なくらいに放置プレイで、何の感情もなく明日も太陽は昇るんだよ。

それでただおれらは負けたんだよ。でもそれは、おれらがやりたくて好きで勝手にやったんだよ。だから別にいいんだよ。



ここまで書くのに四日かかってしまったよ。まだ、雨は降ってる。でもきっと、明日はもう晴れるんじゃないかな。

なあ林君、おれ最近思ったんだ。あれは、確かに傍から見たら、すごく奇妙でいびつな形だったけれど、やっぱりぼくらにとってのまがうことなき、青春ってやつだったんじゃないだろうか。

あの頃のぼくらは何者かになりたいと思って、遥か空の彼方しか見ていなかったが、でも、本当に大切なものは、すぐ目の前にあったんだな。あのころのぼくは、そのことを夢にも気付かなかったんだよ。

三十も過ぎて今はわかる。多分もう、次の一発はない。でかい何かはこない。君もいない。革命は起こらない。

大切なものは次々と壊れていくけれど、それでもぼくは、君の見なかった映画の続きを、見続けようと思うよ。


君の魂が、夢を見るように安らかに、眠りにつくことを祈ってる。
それとも君は、あの頃と同じように、何も語らず、ぼくらを見ているのだろうか。


そうだな、願わくばぼくらが、今そばにあるものを大事にできるように。
そして、きっと何者にもなれないぼくらに、素晴らしい明日が訪れますように。



ぼくらの青春を一緒に彩ってくれた、悲鳴にかかわってくれたすべての人、初めてちゃんと言える。本当に、本当にありがとう。ずっと素直になれなかったけど、本当に嬉しかった。
感謝してもしきれない。

あれは、灰色で、地獄のような日々で、海もバーベキューもなくて、ステージに上がっているときはいつも苦痛ばかりだったけれど、それでも確かにぼくらの青春でした。



ねえ、あんなに傷つけあったけど、今でもぼくは、君が大好きだよ。














ガンディ
粟生こずえ
林恒平

カワセタクヤ
吉田規朗

撮影スタッフ:大島亜耶