2019年4月1日月曜日

君の結婚とぼくらの青春に祝福を

一昨日結婚した友達が、式で「この歳になって気づくなんて遅すぎるかもしれないし恥ずかしいことだが、最近ようやく日々を過ごしてゆくことにささやかな誇りを持つようになった」と言っていた。

友達とは中学から一緒だが、仲良くなったのは高三の終わりからで、ハイデガーとかアドルノとか、そういう哲学書の感想を言い合える相手がお互いいなかったからだ。

彼はいつも「山田くん、もっと凄いところに行きたい。こんな下らないところ抜け出して、もっと哲学や思想の話をたくさん出来る奴がたくさんいるところに行きたい。だからぼくは頑張っていい大学に行くよ」と言っていた。

ぼくらはハイデガーもアドルノもよく分からなかったが、誰と誰が付き合ったとか、誰と誰が別れたとか、どこが年収が高い大学とか、どこが遊べる大学とか、そんなことばかり話している連中よりも自分たちは幾ばくかマシだと思っていた。実際それが「ほんの幾ばく」に過ぎないことは分かっていた。自分も自分がつまらないと思っている連中と大差はないことには気づいていた。本当に楽しい場所はどこにあるのか、本当に自分が居るべき場所はどこなのか、ぼくらには想像すらつかなかった。けれども、ここでないことだけは分かっていたのだ。

ほどなくしてぼくは受験に落ち、彼はK大に入った。ぼくは浪人をすることに決め、池袋をふらふらしながら勉強したりしなかったりしていたが、夏の終わりごろに彼から連絡があり「山田くん、ここも高校と変わらないよ。ぼくは仮面浪人をしようと思う」と言われた。

やがてぼくも大学に入り、彼は再受験をしてT大に入った。でも彼はやっぱり不満げだった。「山田くん、ここも同じだ。どいつもこいつも、下らない話ばかりしている。どこかに、本当に楽しい場所はないのか」ぼくもまた、大学が高校と大して変わらないことに気づいていたが、もう彼のようにそれを探す気にはなれなかった。多分、どこに行っても同じなのだ。「ぼくは外交官になる。それはここよりも更に選ばれたエリートが集まるところだ。そこまで行けば、きっと楽しいと思えるはずだ」ぼくはその考えを決して正しいとは思わなかったが、彼の気持ちには共感した。

それから彼は外交官になり、ぼくはバンド活動ばかりやっていたので疎遠になったが、彼がエジプトで催涙弾を食らったり、イギリスの大学で先生をしたりしているという話を風の噂で聞いた。ぼくはライブハウスでギターを叩いたり壊したりしながら、よく彼との記憶を思い出していた。ぼくらは哲学書を読むばかりでなく、一緒に靖国神社へ遊びに行ったりしていた。資料館で特攻隊の遺書を読んだりして、日本の戦争について話し合った。隣接している食堂で、海軍カレーを食べながら彼は言った。

「生きてる実感がさ、欲しいんだよ。あの時代に生きていたら、運命が初めから決められていたら、ぼくも生きている実感がしただろうか」

ぼくはギターを叩いたり壊したりして、ステージをゴロゴロ転がったりしながら、今、生きている実感があるだろうかと自問した。分からない。これが正しいとも思わない。ただ、これしか出来ない、こうするしかなかった、おまえもそうなんだろう?と思った。

Kくん、君の言った言葉を思い出す。その言葉ね、確かイチローも同じことを言ってたよ。村上春樹も言ってたな。どんな賞が取れたとか、取れなかったとか、外野はいつだってそんな下らないことばかり話しているけれども、自分はただ、日々をしっかり過ごしてきたことに、ほんのささやかな誇りを感じるって。

ぼくは君の奥さんのことをあまり知らないよ。でも、君にそう思わせた人なんだなってことは分かる。だって君がそんなことを言うなんて、思いもよらなかったからね。だから、本当によかったよ。結婚おめでとな。










2019年3月14日木曜日

夢十夜(第93夜)


夢の中で親父とケンカをした。

それで家を飛び出して、無性に走りたくなって山の中を駆け出したんだ。家が山の中にあったんだな。

ずっと下り坂で全然疲れなくて、結構な速度が出た。
左右にくねくね曲がる道をしばらく走ると、そこに爺さんとうり坊、要するにイノシシの子供がいた。

おれはあぶねえと思ってうり坊を避けたんだが、うり坊は何度でもこっちに向かってくる。おれは逃げ回った。

やがて爺さんが「どちらかが囮になるしかない」と言うので、それ以上行く必要もないかと思い、坂を戻ろうと思った。振り向くとそこは園児たちの群れで大変なことになっており、その中をかき分けながら進む羽目になった。

行きにはまるで気付かなかったのだが結構な急坂で、そこら辺の木の根やら石やらに両手をついて上る。

坂はどんどん急になりいよいよ園児たちの頭を掴んで行くしかなくなってしまったが、あっちは「お爺ちゃん何歳?」と呑気なものだ(いつの間にかおれは爺さんと同化してしまったらしい)。

ずっと上っていくと最後はハシゴを上るしかなくなって、何処からか「まだ上るぞ、スゲーぞあの爺さん」と声が掛かった。

91段、92段、93段、するととうとうハシゴの先の木の根元に、人一人入れるほどの穴があった。おれは助かった、と思った。



そこに入ると、妻が突然「横文字のキャッチフレーズが欲しいね」と言った。

それがどんなだったかは忘れたが、「ああやって森に入って、一人一人消えるようにいなくなっちゃうんだよね」「それで消えちゃった人たちが暮らす国があるんだよね」と言った。おれは「へえ」と答えた。








2019年2月23日土曜日

ナンバーガールに追憶を寄せて2

ナンバーガール復活のニュースに興奮したおれは、気づくと日記をしたためていた。先日の話である。ずっと何かを書くということに躊躇し続けていた自分が突然あんな風に語り始めたのかよく分からない。もちろん嬉しかったのだと思う。ナンバーガールは自分にとって性衝動と破壊衝動の象徴なのであり、それこそがロックンロールの全てである、少なくとも自分にとっては。恥ずかしい話だが、このニュースはきっと自分に「あの頃の気持ち」を思い出させてくれたのだ。

ぼくはもう十年くらい、書くということにずっと躊躇し続けてきた。何かを書く、言葉を発するということそのものが刃なのであり、決して完全には暴力と袂を分かつことが出来ないことについ思い馳せてしまい、気付けば興冷めしたようにはたと筆が止まるのである。何かを表明することは、誰かを傷つけることだ。たとえその言葉が誰かを救うかもしれなくても──もっともその考えが心底おこがましいのだが──、誰かを傷つけたことのエクスキューズにはならない。誰も傷つけないまま、暴力衝動と性衝動がとてつもない熱量によって閉じ込められた破滅的な磁場、ぼくはずっとその言葉を探して真っ暗な宇宙をさまよっている。そうしてかれこれもう十年も経つ。

ロックンロールなんてもう流行らないのかと思っていたと書いた。現代においては破壊衝動を持つこと自体が罪になりうると書いた。破壊的な衝動のないロックンロールなど、ロックンロールと言えるだろうか。どれだけ巨大な爆音をマーシャルから轟かせても、どれだけ過激な言葉を曲中に散りばめても、そこにロックンロールの神は降りない。そういえば、初期のエレファントカシマシのライブは、それはもう緊張感に満ちたものだったと聞く。時にはミヤジが血走った目のまま無言になり、何分も演奏が止まることもあったという。客の方もいつミヤジにぶん殴られるか分からない、あるいは客の方こそぶん殴ろうとしてたのかもしれない。ヒリヒリとした時間は凍り付いたまま、唾を飲み込む音すら聞こえる。ロックンロールとはきっとそのように細く張り詰めた、美しいワイヤーのようなものだ。いつ切れるか分からない、余りに細いワイヤーが私たちの神経を異常なまでに研ぎ澄ます。敏感にする。鼓動や吐息が爆音のように聞こえてくる。爆音とは決してデジベル数に変換できるような、数値的音量のことではない。

ナンバーガールドラムス・アヒトイナザワが、レイシスト(人種差別主義者)であると批判を受けているようだ。政治的に過激な歌詞や、彼がフォローしている人物が問題だという。ぼくには一体どこが差別的なのかよく分からなかったが、許さない人はどんなことも許さないものだ。

人種差別について考える。たとえばぼくが外国の学校にいて、ぼくが東洋人だという理由でぼくの母を侮辱したヤツがいたとするだろう。ぼくはソイツを殴らなければならない。どんなにソイツが自分よりカラダがデカくて、筋骨隆々で、州大会でチャンピオンをとったこともある、ボクシング部のマイクタイソンばりの黒人だったとしても、ぶん殴らなければならない。勝てないとわかっていても、わからせるまで絶対にやらなければならない。それは個人の誇りをかけた戦いだ。覚悟と勇気をもってやりきらなければならない。場合によっては、ナイフを持ち出さなければならない。彼がレイシストであるかどうかなんてことは、ぼくにとっては1ミリも問題ではない。問題は、彼がぼくの母を侮辱したことにあるのだ。そこに政治や社会の問題など持ち込まれたくない。

つまるところぼくにとってそれは、徹底的に個人的な問題だ。ぼくの彼に対する怒りは、「レイシスト」なんてよく分からん横文字のレッテルに収まってしまうほどぬるくはないのである。そして、ぼくはこうも考える。彼がぼくの母を侮辱したからと言って、州大会チャンピオンの座を、はく奪されるべきではない。なぜなら、そんなことをしたからといってぼくの怒りが1ミリも収まるものではないし、大体そんなものをいくらはく奪してみたところで、彼が圧倒的に強いボクサーであることは、何一つ否定できないからだ。例えば彼が、チャンピオンの座をはく奪されたくないからという理由で、自分の発言を取り下げたとしよう。事件は表面的に解決を見るかもしれないが、そんなことでぼくは決して納得しないし、彼もいずれまたどこかで同じようなことをやるのである。だから、ぼくは彼を殴る。99%返り討ちだとしても殴る。世間や社会のことなど関係ない。彼が自分の言ったことを理解するまで、分かり合えるまで殴る。それ以外に、この問題に解決はない。

そうやって、返り討ち覚悟で自分より強いやつを殴ろうとしに行く奴のことを、必ず誰かが見ていると、ぼくは信じている。信じているので生きていることが出来る。しかし誰が?ボクシングの州大会チャンピオンよりも強い誰かだろうか?お天道様?それとも──そう言って差し支えなければ──神だろうか。

誰かがぼくの消しゴムに「しね」と彫った。上履きに母さんがマジックで丁寧に書いてくれたぼくの名前に、上からバッテンがされていた。体育から戻ってきたら、自分のお弁当が机の上にひっくり返されていた──全部かすれてとうに霧のようになってしまった、遥か彼方の記憶である。どこにも居場所がないと、ヘッドフォンをしたままいつも伏し目がちに歩いていた俺は、やりきれない気持ちになったとき、何度もロックンロールに勇気をもらった。ロックンロールを聞けば、いつだって俺はヒーローだし、革命家だった。ロックンロールは、臆病者には何もしてくれないが、弱くても立ち上がろうとする者のことは絶対に見捨てない。「99%負け戦でも、最後まで立っていて一矢報いてやれ。そうすればお前の勝ちだ。たとえ死んだとしても、おまえは人生に勝ったんだ」あのときおれの耳元でそう囁き続けたロックンロールの神を、おれは未だに信じている。



2019年2月15日金曜日

ナンバーガールに追憶を寄せて

おれは17歳のときにはじめてナンバーガールを聴いたんだけれども、本当の意味では初めて刺さったロックンロールかもしれなくて、それは「なんてカッコいいんだ」と思うと同時に、「なんて気持ち悪いんだ」という気持ちも少なからずあったように思う。向井秀徳の歌はとてつもなく甲高いスネアの音と、ごん太のモズライトベース、轟音をかき鳴らす金属じみたギターの向こう側でかすれるように風景の中の少女への憧憬と性的衝動への自問自答を叫ぶといったもので、まだ今ほどオタクが市民権を持っていなかった当時、少女に異常な執着を持つ向井の歌詞は客観的に見れば変質者以外の何物でもなく、それは一介の男子高校生がかのバンドが好きということを公言することを憚るのに充分な理由であったように思う。(TLが「あのころナンバーガールを聴いていたやつなんて全然いなかったのになんでこんなに盛り上がっているんだ」となっているのはこれが一因であるような気もする)。

いずれにせよ自分にとってナンバーガールは「ロックンロールってなんて恥ずかしくて、本当に恥ずかしいものはなんてカッコいいんだろう」ということを教えてくれた先生であり、そしてその恥ずかしさの理由は、ナンバーガールの音楽は向井氏が本来目も当てられない代物であるはずの自分の性的衝動と率直に真正面から向き合ってひねり出した音であるというところにあると考えられ、そういう意味で、生涯童貞を貫き妹への憧憬を文学にしたためた宮沢賢治の書く物語たちにも似ているかのように思えた。自分はナンバーガールや宮沢賢治を通して性的衝動や暴力衝動、つまるところの「リビドー」と言われるものが恥ずかしい、みっともない、醜いばかりのものではなく、こんなにもカラフルでサイケデリックな世界を描くことがあるのだということを知った。そのとき自分の人生は文学とロックンロールに捧げることになるだろうということをおれは天啓として受け取ったのだった。

平成も終わる今日2019年の世界において、性的/暴力衝動、つまるところのリビドーは、社会より無用の長物として烙印を押され、それをうまく扱えないことは彼が畜生にも等しい人間であるということの証明と化しつつあると、誰かがうそぶいていた。そんな中、ロックンロールといういわば暴動のイミテーションともいえる衝動音楽は次第に行き場所を失い、時代遅れの産物として息絶え絶え虫の息、博物館入りも目前の代物なのかもしれない。にもかかわらず、ナンバーガールがこんなにも根強く人々から支持され、その復活を歓喜の声をもって受け入れられていることは、ある種宗教的奇跡の光景のようにすら見える。「こんなにも、こんなにもロックンロールを未だに信じている連中がいたのか」とおれは流れるタイムラインに目を丸くし、舌を巻いている。

歳を追うごとに一人、また一人と友人たちがバンドをやめていった。それはどこをどう切っても、仕方のないことである。誰もが自分の人生を、ギリギリの決断の末選び取っている。他人がどうこういうものではないことは明白だ。ましてやロックンロールは芸術である。勝手にやって勝手にやめるというのが道理というものだろう。そんなことは百もわかっている。おれは今そんな話をしているのではない。ひょっとしたら寂しかったのかもしれない。初めてナンバーガールを聞いた帰宅ラッシュの東急東横線の中、「自分だけのロックンロールを信じる」と誓ったあの気持ちを、決して忘れたわけではない。しかし二十年近くも経てば、あの時信じた神が、本当に命を懸けるほどのものだったのか、それとも若者によく見られる一時的な情緒不安定やメランコリーに類するものに過ぎなかったのか、つまるところただの幻影にすぎなかったのか、次第に不確かなものへと変わっていく。性や暴力の衝動を美とするなんて趣味はどうかしている、いくら芸術家の手を経ても暴力は暴力に過ぎぬのであり、いくら美に描き変えところで倫理的に許されるものではないのだぞと脅迫する声は、日を追うごとに近くなってくる。軍靴の音が聞こえてくる。自分は流されてゆく。そんな感情はいっそなかったこととし、追憶と余生をもって大人の証としようとする。ついにはとうとう一度信じた神を手放そうとする。そしたらいったい自分に何が残るのか、きっと何も残らないさァ。生活して、排泄して、死ぬ。すべての人間はそうして生きてきたじゃないか。と、そこまで思いつめてもどうしても棄教できなかった信仰なのである。自分にとって、ロックンロールという神は。