2018年7月18日水曜日

大麻考

ぼく自身は大麻をやったことはないのだけれど、昔よくやっていたという友達がいる。

大麻を吸うとカラダから魂が抜け出て、だだっ広い宇宙空間のド真ん中に連れて行かれるという。そうして、"すべて"が分かるのだそうだ。"すべて"というのは、言葉の通り"すべて"だそうで、人生の意味から宇宙の真理までの"すべて"が分かってしまうというのだ。

ところがこの"すべて"、大麻が抜けるとスッカラカンに忘れてしまうらしい。勿体ない、覚えていれば教祖にもなれたろうに。諦め切れない彼は思いつきで一計を案じた。手元に鉛筆とノートを置いたまま葉っぱを吸って、"すべて"が分かった瞬間に書き留めようというのだ。

さっそく煙をくゆらせて天井のシミを見つめていると、間もなくその瞬間はやって来て、次第にシミがそこにあった意味、それが伝えようとしていること、シミと自分の1000000年にも及ぶ因果などがゆっくりと了解されてきた。なるほど"すべて"は初めからそこにあったのだと彼は理解した。早速ノートに書き留める。「すべてが分かった。すべては初めからそこにあったのだ」

さて、正気を取り戻してノートを見てみるとなんのことはない、ミミズが捩れたような文字でたった一行「すべては初めからそこにあったのだ」とあるばかりだ。これには随分ガッカリしたそうだ。

大麻をやっているときの感覚は、夢の中に近いらしい。ある程度の明確な意識があるという点においては明晰夢というのがより正確だろうか。魂が肉体から幽体離脱して、自由に物事を考えはじめる。「質量のない世界では、物理法則に縛られたこの世界とはまるで考え方が異なるんだ」

「あの世界では」半信半疑で聞いているぼくを尻目に喋り続ける。「どんな些細なことも感動的だし、全てに意味があるんだ。そして、どうしてぼくらが今、そう感じられないかと言うと、忌々しいこの肉体が、ここに在るからなんだ。ぼくらは骨の軋みや血液の逆流、内臓の膨張、凡ゆる重さの在ることに意識を混濁させられて、この世界を何一つ正確に感じ取ることは出来やしない。マリファナはそれを解放してくれるんだ。重さがなければ"すべて"が了解される。そう、本当に"すべて"なんだ」

大麻をやって魂が抜ける度、彼はいつも「ああ!そうだったのか!」と叫んでしまうと言う。なぜこんなにも簡単なことが今まで分からなかったのかと、自分で気づいて一人で驚いてしまうのだ。そして何となくだが、もう自分は何億回もこんなことを繰り返していて、毎回魂が抜ける度に今は何億何万何千回目で、「"また"だ!またオレは、生きているうち気づけなかった!」と思うのだそうだ。

宇宙の中心に引き摺り出されて、創造神の前で彼は問われる。神さま:「何回目だ?」彼:「72億5386万0294回目です」神さま:「また気づけなかったな」彼:「ハイ…」重さのある内にこれに気づけないのがカルマというもので、人はそれぞれ重さのある内に自分のカルマを克服する必要がある。そして、全部のカルマを乗り越えたときにようやく解脱するんじゃないだろうか、オレはそう思うよ、だって神さまに「やり直し」って言われたもん、それだけは覚えてるもん、と彼は言った。