2008年5月17日土曜日

祟る神


出雲大社に行って来た。

なんでも六十年ぶりの遷宮だそうで急にまた親父が例の気まぐれを起こしたのだ。羽田からぷーんと飛行機に乗って出雲空港に到着したのが一昨日のこと。

今、なんだおまえ右翼の癖に出雲大社なんて行くのかなんて考えた人は勉強家である。(ぼくに勉強家だと言われて何の得があるのかは知らんが)その通り、はっきり言っちゃえば出雲は天皇の敵である。

簡単に日本史の復習をしよう。流石に今ではそんなことはないと思うが、最近までの日本の歴史教科書は唯物史観が主流であり(なにも非難しているのではない。確かに唯物史観が啓蒙したものも大きかっただろう)神話を教えないのが通常であったため、(教科書の最初がくにづくり神話でなくてアウストラロピテクス!)記紀(※古事記と日本書紀のこと)の内容もよく知らないという人が増えているようであるからだ。しかしながら神話こそは民族の歴史の深層心理であり、その民族性を規定すらしてしまうというのは、別にフロイトでなくとも今では誰もが当たり前のように言っていることであり、その意味において、神話こそは民族の大根本そのものである。

さて、記紀にはこうある。(※分かり易いように、かなり噛み砕いてあるから、そのせいで表現が適切でないところもあるかもしれない。)昔々この世界、即ち葦原中国(※あしはらのなかつくに。現代語風に言えば地上界と言ったところか。)の王は大国主命(おおくにぬしのみこと)であった。しかしある時、高天原(※たかあまはら。即ち天上界のことである)の女王、天照大神(あまてらすおおみかみ)が地上界の支配権を握ろうとした。(※どうして天照がそんなことを急に思い立ったのかは、記紀には記されていない。)そこで天照は地上界に使いをやって、大国主と交渉しようとした。ところが使いは、天照の命令を聞かずに、いつの間にか大国主の家来になってしまったのだろうか、いつまでも返事をよこさないまま、音信不通になってしまった。天照は困って、また別の使者を送った。ところがそれもまた連絡をよこさなくなってしまった。こんなことが何人も続いたので、天照は最後に建御雷之男神(たけみかづちのをのかみ)を送った。(※この建御雷というのはかつてイザナミが火の神を生んで死んでしまったときに、イザナギが怒ってその生まれたばかりの火の神の首を剣で切り落としたが、そのときに生まれた剣の神である。非常に怪力であり、剣の神であること、雷という名前などからも想像がつくように激烈な性格をもった人間がモデルになっていると考えられる。)建御雷らの交渉によって、大国主は国を譲ることを承服した。こうして、地上界は天上界の神々が支配するようになった。

ご存知の通り、天照の末裔がそのまま天皇となる。天皇が現人神であるとされる所以である。

さて一方、大国主命である。大国主は天照たちに国を譲る際に、このような注文をつけたという。即ち、隠居する代わりに、私のために天上界に届くような巨大な宮殿を造っていただきたい。そうしたら私は、あなた方に顕の世界の支配権を譲り、自らは幽の世界の支配者になろう。(※ものすごく乱暴な言い方をすれば、顕とは目に見えることであり、幽とは目に見えないことである。世俗権力と宗教権威、生の世界と死の世界ととるのは明らかな行き過ぎであるが、よくわからなかったらそれっぽいことと理解してもいいかもしれない。これゆえ大国主は目に見えない、人間の「縁」を司る神とされる。)

こうして造られたのが出雲大社である。(※地上界を意味する葦原中国が、出雲を中心とする中国地方と、「中国」という名前において同じであるのは必ずしも偶然ではあるまい。当然の事ながら、古代においては中国は現在の支那大陸東中央部を意味しない。あそこは漢である。) 

現存する出雲大社の本殿はそんなに大きくはないのだが、もともとの出雲大社は、大国主の注文にしたがって、本当に馬鹿でかかったといわれる。平安時代の貴族の子供たちの教科書、『口遊(くちずさみ)』によれば、日本ででかい建物トップ3に「雲太(出雲大社が一番)、和二(東大寺大仏殿が二番目)、京三(平安京大極殿が三番目)」とあって、その大きさは東大寺大仏殿を越えていたと記されている。東大寺大仏殿の高さは45メートルであるから、それよりでかかったということになり、そんなものは事実上当時の建築技術では製作不可能とされていたのだが、平成十二年に幅1メートル超の杉を三本も束ねたばかみたいに太い柱が出雲大社の地下から出てきてしまった。この尋常ならざる巨大柱は日本の古代史学に衝撃を与えた。もちろんこんなバカみたいな超巨大木造建築は、世界中類をみない。

この巨大な宮殿の神殿の祭神はもちろん大国主命であるが、その宮司は、代々、国造(くにのみやつこ)と呼ばれる祭司が務めてきた。国造の祖先はかつて天照が天上界から使わされた地上界への使者のひとり、天穂日命(あめのほひのみこと)である。天穂日は先述の通り、大国主に国を譲らせるつもりが、いつのまにか地上界に同化してしまい、天上界に復命しなかった。ちなみに天穂日は神であるので、出雲大社の祭官、国造もまた天皇と同じく現人神である。驚くべきことに現人神は天皇だけではなかったのだ!(※想像もつくとは思うが、要は明治維新のアレのアレがアレによって、天皇ただひとりが現人神であらせられるとされちゃっただけの話である。)

ところで出雲大社が建造されたあたりから、急に(神話でなくて)現実の出雲も没落を始める。土器や金属器などの出土量もこの時期を境に次第に減っていき、そのままなくなってしまう。それからなんだか出雲自身が、非常に変な態度をとり始めるのである。どこかひねくれたというべきか、例えば古墳時代に入り、日本中に前方後円墳が造られる中、なぜか出雲だけは前方後方墳にこだわり続けるなんていうのもそれである。

それどころか、今に至るまで、出雲というのは本当にすべてがひねくれている。例えば伊勢神宮をはじめとする普通の神社郡とは注連縄のよい方が逆。参拝の礼法も、二礼二拍一礼ではなく二礼四拍一拝。日本中が十月を神無月とよぶのに対し出雲は神在月。(※これは十月に出雲に日本中の神々が集まるからである。) 

はっきりいってしまえば、古事記や日本書紀においては「国譲り」という婉曲な表現で記されているが、大国主命は天照大神に天上界から侵略を受け、地上界の王の座をおりることを強要されたととるほかない。そうでなければこの出雲のひねくれ具合は説明がつかない。今回出雲大社に行って実感したのだが、出雲大社は本当にひねくれている。妙に卑屈なのだ。例えば三時半に締め切りといったら、三時三十二分に到着した脚の悪いおばあちゃんまでも、絶対に拝宮の行列に並ばせない。直接目の前で目撃したのだが、車椅子をおす娘とふたりで、わざわざ今日のために東京から来たのでどうしても、死ぬ前に一度だけでもというのだが、絶対に許可しないのである。他にもジーンズやミュールでは絶対に本殿に立ち入らせない。帰らせる。遷宮中で本殿に大国主命がいないにもかかわらずである。こんな話は明治神宮でも氷川神社でも伊勢神宮でも聞かない。ましてや祭神自身がいないのに!そのくせ妙に卑屈な笑いを、全く予期せぬところで受けたりもする。

天照を祖先とする天皇側も、自分たちが大国主の地上界を侵略して、国を奪ったということにかなり後ろめたさを感じているようである。その証拠に、朝廷で出雲神が祟るというのはよくある話で、例えば第十代祟神天皇(※実在するとされる最初の天皇、なぜ祟る神という名前であるのかも大変興味深い)の時代には天候不順と疫病の蔓延に苦しめられたが、これは出雲神の祟りであるということがわかり、大物主神(おおものぬしのかみ)(※大国主命の穏やかな心が顕現したもの)を祀ってみると無事に世は平穏を取り戻したという話がある。それから第十一代垂仁天皇の皇子は所謂「おし」であったが、これも出雲神の祟りであった。他にも初期の天皇はいずれも出雲から妻を娶る場合が非常に多いなど、状況証拠は枚挙に暇がない。そもそも大国主命の皇子であるぬ事代主神(ことしろしのかみ)は天上界と地上界の間で板ばさみの立場になり、海の底へ消えていったといわれていて、要は大国主の子供が自殺する状況にまで追い込まれてるんだから、大国主命が天皇家に呪いをかけたとしても不思議ではない。記紀は朝廷側が記したものであるから、天皇に都合の悪い点はすべて排除されているわけで、あえて冒険的な言葉を用いるならば、書かれていないだけで、天皇家はかつて日本を支配していた大国主命と出雲をなんらかの後ろめたい方法で抹殺し、その場に居座ったのかもしれない。こう考えるとどうして出雲大社があんなにも巨大なかということもわかってくる。本来地元の信仰も(古代日本の王であったくらいなのだから)強力だったのに加え、朝廷が大国主命の呪いを恐れ、沈めるために、あれだけ大きく、高いものをつくらせたのである(本来的に神社とは荒ぶる神を押さえ込むために作られる施設である) 。

伊勢神宮・天皇・天照大神・高天原(天上界)と、出雲大社・国造・大国主命・葦原中国(地上界)は日本の対照をなしている。注連縄のよい方のみならず、儀式もまた逆である。天皇が日継ぎの儀式をするのに対し(大嘗祭)、国造は火継ぎの儀式をする。日が昼の象徴であるならば火は夜の象徴である。その手順は非常に似通っていて、天皇家が神聖な井戸「童女井」の神水と神火を用いた神饌を神に献じて自らも食すのに対し、国造は火鑽臼と火鑽杵で神火を起こし、神聖な井戸水を使い神饌を造って神に供え、自らも食す。正に大国主命が言われたように、天皇が顕ならば出雲は幽である。

更に冒険的なことを考えてみる。ここからは完全な仮説に過ぎないが(というか今日の話はすべて仮説に過ぎないんだけど)、天上界、すなわち高天原とは、朝鮮半島、あるいは大陸のことではなかろうか。もともと日本では荒ぶる神々(=豪族)を押さえ、大国主命という王が支配していたが、朝鮮半島から強力な鉄器をもった渡来人がわたってきて、(あるいはその出先機関としての北九州も含めて)大国主に軍門に下るよう使者を使って何度も命じたが、なかなかそうならず、結局何らかの後ろめたい方法で大国主命を殺害し、その場に居座った。もともと北九州の出先機関はヤマタイ国といったが、大国主命を倒すことで近畿地方に移り、同じ名前のヤマト国を名乗った。

時代は下りやがて天皇家を祀る伊勢神宮が作られたが、この祭神は知っての通り天照大神と豊受大神(とようけのおおかみ)である。天照大神は大日孁貴(おおひるめのむち)とも呼ばれ、孁は巫女の意味であり、つまり日孁とは日巫女(ひのみこ)のことである。また「ひのみこ」と「とようけ」が卑弥呼と台与(とよ。壱与「いよ」とも呼ばれる)を意味するのではないかというのはしばしば言われることである。

で、未だに天皇家は大国主命(出雲大社)に呪われている、と。
ちなみに、出雲大社に昭和天皇が来た際も、本殿への昇殿はなされなかった。出雲大社側が許さなかったのか、天皇側が遠慮したのか、それは知らない。

さて、大分脱線したおまけとして、最後に更にとんでもない脱線話がある。

出雲大社に到着したぼくらは、なんと三時間もならんで、やっと本殿を拝殿することが出来た。もちろん、昭和天皇がだめだったくらいだから、当然昇殿は不可であり、周りから覗き込むだけである。

本殿の天井には、色鮮やかな雲が描かれていた。普段大国主命の魂が鎮座しているといわれる場所は、ちょうど死角になっており、見えない。(※驚くべきことであるが、出雲大社はあれだけ巨大な神殿でありながら、左右非対称である。そうして、正門側からみて右奥の部屋が、大国主命の魂が座る部屋となる。こんな巨大建築、本当にどこでもみたことがない!神様の宮殿なのに、左右非対称なのだ!伊勢神宮も、明治神宮も、すべて左右対称である。)しかし三時間並んだわりには、大したことないものであるというのが、全体的な印象であった。退屈した親父が、突然近くにいた出雲大社の警備員に質問を始めた。 

「あの、この殿内というのは、だれが掃除するんですかねえ、宮司さん(国造)ですか?」
「いえ、宮司はそういうことはいたしません。」
「じゃあ、他の人?でも、昭和天皇でも入らなかったくらいでしょう?」
「ええ、そうです。本殿には誰も入れないんです。」
「じゃあ、掃除は誰が?」 

急に警備員が顔色を曇らせた。そうして、かなり戸惑い気味で、「それは、下の人たちが、」と付け加えた。 

「下の人たちって、それは、あれですかね、ええと、例えば非人の方とか?」 

がしゃんという大きな音がなる。警備員が真っ青になってトランシーバーを落っことしたのだ。母さんが大慌てで親父にやめなさい!と騒いでいる。ぼくは仰天した。多分それが図星だということにである。

母さんが謝ってあわてて親父を引きずり出して、事態は何事もなくすんだ。

しかし、なるほどこれは恐るべき話である。天皇は入れなくても、非人は中にはいれるという。これは恨みがどうのこうのいう話でもあるまい。網野善彦は『異形の王権』の中で、天皇と非人の深いつながりを指摘したが、聖と穢というのは、どこまでもコインの裏表なのかもしれない。

で、これは間違っても聖と穢ではないが、日と火(昼と夜)、天原と葦原(天上と地上)、伊勢と出雲(天皇と国造)、顕と幽(生と死)、すべてはコインである。出雲は天皇を呪い続け、天皇は出雲に許しを乞い続ける。この世界のすべてを認め、愛し鎮める太陽神と、この世界のすべてを認めずに荒ぶり復讐する祟り神。出雲は天皇(日本)の原罪である。でもいつの間にかそんなことは忘れてしまった。長い年月をかけて、日本の神(現人神)は天皇だけ、ということになってしまった。なにもそうなってしまったのが明治維新からであると結論付けて、そのまま安易な近代批判に結び付けようとしているのではない。あくまでも長い日本の歴史の中において、ということである。けれども我々が呪いと罪を忘れて愛と認めることだけに傾倒しがちなのは、いつの間にか出雲と幽の世界を忘れ、天皇と顕の世界だけになってしまったことと、必ずしも無関係ではないかもしれない。だってもうおれたち肉食ってんだから。否応なしに人傷つけちゃうんだから。どんなにコソコソ生きてても息すってたら空気汚しちゃってんだから。見ないふりしようたって無理なんだから。 



罪。祟り。呪い。これは出雲を忘れ、天皇だけをみて完璧な世界だと思い込もうとしたぼくたちへの、大国主命からの復讐だろうか。








2008年5月9日金曜日

無政府主義者のたわごと


もしもぼくひとりが死ぬことでこの世界が救われるなら
もうぼくは喜んで地獄の業火にだって太陽にだって、それはもう喜んで飛び込むことだろう
この気持ちはきっと決してウソじゃない、ぼくは小学校のころ初めて特攻隊の話をきいたときからゼロ戦にのってみんなに惜しまれながら死地へと旅立つ自分のことを何回も何回も思ってたんだ
たった一人の英雄の死をもってこの世界に平和と幸福がやってくる、
ぼくはその瞬間を昔からずっとずっと待ち焦がれていたんだ

けれどももしも、もしもだ
誰一人の犠牲もなく、もちろんぼくもただのひとりの人間としてそこに参加することができるのなら

もしなにか、キリストが復活するかなにかすばらしいことがおこったとして
この世界に福音がもたらされ、罪も苦しみもない、永遠に幸福な楽園が現実に現れるとするなら
神の国がこの現実に突然本物として現れるなら

ぼくは決してそんな世界に参加したくない。みんなが手をつないで拍手をして大喜びをしているところで、ぼくはたったひとりこの町をでていって、ひっそりとそこで新しい国をつくるのさ 王国をつくるんだ

ぼくはどうしても許すことができないんだよ この罪にまみれた世界を人間の罪を、だってぼくはこの世界のすべてに罪を背負っているんだから

君は本当に良心の呵責をぬきにして、福音とその大団円の中に参加できますか?ホントに?本当か?


それは暗くてじめじめした、小学校のときの記憶。花子の学校では、月曜日から金曜日までは給食がでるのですが、土曜日は半日教室といって、お弁当を家から持ってくることになっていました。給食のときは班ごとに机をくっつけてみんなでごはんを食べるのですが、土曜日の半日教室では、みんなが校庭で、好きなように好きな友達とお弁当を食べていました。花子はこの半日教室が大嫌いでした。もちろん、だれも一緒にお弁当を食べる相手がいなかったからです。花子は小学校で仲間はずれでした。それは花子が「変なやつ」で、「キモチワルイ」からに違いありませんでした。仕方なしに、花子はみんなに隠れてトイレの個室でひとりでお弁当を食べていました。もちろん、あんなところでひとりでお弁当を食べるというのは、まるでおいしいものではありません。花子はひとりで全部を食べきれずに、お弁当をトイレに捨ててしまっていました。でも、一度いつもどおりに捨てようとしたときに、急に今朝、母さんが一所懸命にウィンナーソーセージをお弁当に入れていてくれたことを思い出して、とても悲しくなってしまいました。「お母さん、ごめんなさい。」小さくつぶやいてから花子はそっとお弁当を流しました。さらさらさらと、ウィンナーソーセージが便器の中にすいこまれていって、それを見ていたら自然に涙があふれだしてきてしまって、花子はトイレの床にしゃがみこんでしまいました。外では友達がわーわーいいながらおしっこをしている音が聞こえてきて、花子は泣いているのがばれないように必死で嗚咽をかみ殺しました。結局そのまま、泣いていたのがバレたら恥ずかしいからという理由で、お昼休み中花子はトイレにこもっていたのでした。


君は花子の思いを知ってしまった。さて、それで本当に、本心からこの福音を、歓喜と敬愛の念をもってむかえることができるだろうか、できるのですか。ぼくはぼくは、本当に福音が欲しい。神の国にいきたい。花子のこともこの世にあふれるあらゆる罪や苦しみや憎悪や復讐も、全部過去のことにして、なかったことにして、忘れ去ってこの世界と一緒になって、愛と幸福と平和の名の下にキリストの降臨を待ち求め、そこにひれふし、すべては許され、この世界には春がきたりて花がひらき、鳥がささやき、そうこの世界とひとつになるということ

でもぼくは!ぼくは!決して花子のことを忘れられないのだ!だから福音は!決して許されない!この世界とひとつになるなんて花子のためにも絶対に許されないことなのだ!!!

きっと花子は、この世界に参加できずに、どこかで泣いたまま、この世界からさっていったんだ。それでみんなそのことも忘れてすっかり福音に酔いしれて、花子の人生って一体なんだったんだ!ぼくにはそんな福音絶対みとめられない!みんなで幸福になる前に花子に愛と平和を返せ!何が平和だ!何が人権だ!何が民主主義だ!何が天皇だ!花子を帰せ!花子の人生を帰せ!それ以上は何も求めないぼくは!花子を!さあ花子を帰せ!!

だから絶対にぼくは何も信じない、平和も人権も、愛も福音も、幸福も神も、人間は決してセックスなどできるわけがないのだ。誰にも認められなかった人間と過去をさしおいて、誰かとひとつになろうなどと差し出がましいにもほどがあるのだ。すべては許されない。許されるのは贖罪と復讐だけである。


地下室にこもる男の手記(ははあ!冗談よせよ!ドストエフスキーもこんな冗談言うものか!)


ぼくのもっとも古い記憶は、幼稚園の光景です。ぼくは大きな恐竜の遊具の下で、ぼんやりと立っていました。恐竜の背中ではみなが楽しそうにきゃあきゃあ騒いでいて、ぼくは一緒に遊びたくて、おもむろにはしごを上り始めました。すると突然、はしごの上から誰かが叫びました。「降りろよ!」ぼくはびくっとして、はしごに手をかけたまま、ゆっくり天を仰ぎました。逆光の中でまっくろな影が、じっとこっちをにらんでいます。ひまわり組のリーダーのようでした。彼はしばらくこっちの様子をうかがっていましたが、ぼくが手を離さずにいると、もう一度「降りろよ!」と、はっきりと言いました。ぼくはまたびくっとします。それでもまだ手を離せずにいると、上からボールがとんできました。ぼくは逃げるように手を離し、そのまま地面に沈んでゆきました。そこで記憶は止まっています。 

次に古い記憶は、父さんの記憶です。ぼくらが新宿の、小さなアパートに住んでいたころのことです。がちゃん、という玄関の鍵の開く音がして、ぼくはびくっとなりました。父さんは昼になると、家にごはんを食べに帰ってきていたのですが、ぼくにはそれがとてつもなく怖かったのです。とにかく父さんは怖かった。とくにお昼はお腹がすいているのかいつも不機嫌で、近所に聞こえていようがなんだろうがなりふりかまわず怒鳴りちらしました。その日はクレヨンでお絵かきをしておったのですが、がちゃんと言う音が鳴って、ぼくはあわててそれをしまいました。父さんは家にはいるとぎろりと一にらみして、「帰ったぞ」といいました。ぼくは笑顔でおかえりなさいといいました。本当は父さんなんて永遠に帰ってこなければいいと思っていたのだけれども。 

父さんは黙って手をあらって、仕事の愚痴をぶつぶつ言い始めました。ぼくはびくびくしながら席について、おとなしくアジの開きが運ばれてくるのを待っていました。やがて料理が出揃い、三人でいただきますをしてから、ぼくは緊張してアジの開きをつつき始めました。父さんはその間も、ずっとぶつぶつ文句を言ったり、椅子にのぼってきた猫を新聞で叩いたり、テレビを見てはひとりで怒鳴り散らしたりしていました。
しばらくすると、ぼくは突然父さんに怒られました。 

「おい!おまえアジばっかり食ってんじゃないよ!」 

確かにぼくはただアジばっかりつついて、味噌汁にもごはんにも全く手をつけていませんでした。ぼくはあわててごはんをかきこみました。父さんは黙ったまましばらくじっとにらんでいましたが、やがてぶつぶつ言いながら、ぼくのことに関心を失ったようでした。ぼくはほっとしました。そしてやはりそこで記憶はなくなっています。


ぼくの父さんは二・二六事件があった年の七月に、とても貧しい家の長男として生まれました。ぼくが父さんの生まれた家のことを「とても貧しい家」としか形容できないのは、実際のところ、ぼくの祖父が何をやっていたのか父もほとんど知らなかったことによります。主な収入は、すし屋や料亭の看板の字を書いて得ていたということらしいのですが、それ以外はある日ふらあと家を出て数ヵ月後にいくらかの銭とともにふらあと帰ってくる、そんなフーテンの繰り返しのようでした。おかげで父は、学費を家にたよることができず、中学のころから新聞配達をして学費は自分で稼ぐようになりました。授業には半分もでれなかったといいます。その上さらに不幸なことに、父は生まれつき耳が不自由というハンディキャップを背負っていました。とくに高音に関してはかなり重度の難聴で、携帯電話の着信音のようなかなり大きめの音もまるで聞こえないとのでした。そんな調子ですから、たまに出れたとしても授業の内容はほとんど聞こえません。中学の成績は散々でしたが、それでも父は死ぬ気で勉強をしました。やがて見かねた先生が、父さんを家に呼び、直接勉強を教えるようになりました。すると成績は見る見る間に伸び、あっという間にクラスで一、二を争うようになりました。父は得意の絵の技量を生かして、早稲田大学の建築設計科に進学を決めました。 

このころから激烈な性格は更に拍車をかけ、友人たちから父は「瞬間湯沸かし器」というあだ名で呼ばれるようになりました。もう七十になるのだけれども、この性格はまるで変わる様子がありません。
思うに父がいつも怒鳴り散らしていたのは、耳が聞こえないゆえの恐怖感や、人が話していることを理解できない、仲間に入れない悲しみや理不尽さ、やりきれなさを力づくでなぎ払おうとしていたのだと思います。父は生まれてからずっと、その苦痛をひとりで背負って生きてきたのでしょう。その上父の青春時代は激動の時代でしたから、父は生きていくために強くなるしかなかったのだと思います。けれども子供だったぼくはまるでそのことを理解せずに、父の怒鳴り声を心から憎みました。父の叫びは、父の防衛本能だったにちがいないのですが、そのころのぼくにとっては、恐怖と崇拝の対象でしかなかったんです。 

その後父は外資系貿易会社の社長秘書と結婚し、母はひとりだけ子供を生みました。

父はいつだってえばり散らしているくせに、その割りにとても弱いところがありました。風邪をひいたりするともうだめで、ぱたりと倒れこんでしまい、「もう俺はだめだ、俺はもう死ぬ」とうわごとのように繰り返すのです。結局父は、どれだけ怒鳴り散らしても母さんがいなければ何もできないのでした。「おれはもうだめだ、」そう言うときに父は自分の人生のことを一体どんな風に思っていたのでしょうか。どれだけ勉強をしたくてもどうしても時間をつくれなかった少年時代、耳が聞こえなくて、どれだけ叫んでもだれもこっちを向いてくれなくて、世界からたったひとりで取り残されて、それでも必死の苦学の末に、早稲田でも主席で卒業した父さん。父さんにとって建築とは何なのでしょう。父さんは建築をしている限り無敵でした。この、無敵感。だけどその無敵感の裏には、いつでもあの貧乏と仲間はずれの世界が、うすっぺらなシールのように、ぺったりと張り付いていたのかもしれません。 

それにしても、あの激烈な性格。父さんの怒鳴ったときの迫力といったら、それはそれはすごかった。父さんの怒鳴り声に、ぼくは心底おびえていました。あまりの剣幕に、一度近所のひとに通報されたことがあるくらいです。それは確か、お味噌汁の具にレタスが入っていたかどうか程度のことだったんだけれども、よりによって父さんの怒り方はものすごくて、あとで聞いたら、本当に殺し合いが行われているんじゃないかと思って、通報してしまったとのことでした。警察が来たときには、ぼくは部屋の隅でわんわん泣いていたものだから、父さんは警察に連行されていってしまいました。(二三時間すると、しょぼくれた調子で帰ってきました。) 

そうは言っても、ぼくは父さんのことを決して嫌いなわけではありませんでした。夜ごはんを食べて晩酌をするときまって父さんは上機嫌で、そんなときはぼくに宇宙の仕組みやこの世界のこと、人間のこと、哲学のことなど饒舌に話してくれるのでした。そんなときの父さんの目は本当に少年のようにきらきらしていて、ぼくはそんな父さんが大好きでした。父さんがもっとたくさん話してくれるように、ぼくは一所懸命に相槌を打ちました。本当に話をわかっていたかといえばわかりません。でも、そうやってぼくに話をしてくれる父さんが好きだったのです。

ある日母さんが風邪で床に臥してしまって、ぼくは父さんとふたりで買い物に行くことになりました。ぼくは父さんといっしょに買い物に行くのがたまらなく嫌でした。なぜなら父が、店の中だろうがなんだろうが平気で怒鳴るからです。ぼくがおもちゃやお菓子に気を取られて立ち止まったりすると、大声で「早く来い」と怒鳴る。みんながぼくに注目する。もちろん父は、ただ単にぼくを呼んでいるだけで、怒ってはいないのです。けれどもあんなにでかい怒鳴り声を出されたら、だれだって父親が悪いことをした子供をしかっていると理解するでしょう。ぼくはすごく恥ずかしかった。うつむいたまま、ささっと父さんの足元によった。すると父は満足げな様子でまた普通に歩きだすのです。 

その日も、案の定父は店員さんにも平気で怒鳴り声をあげました。牛乳はどこだ!タイムサービスはまだか!なんでリンスにコンディショナーなんて書くんだ!もちろん父は怒ってはいないのです。自分は丁寧に店員さんに質問しているつもりなのです。はは、どうです、笑えるでしょう?いくらなんでも「タイムサービスはまだか、」って。そう、たくさんの人が父さんをみてクスクス笑いました。耳が聞こえていない父さんは、そんなことまるで気づきもしませんでした。でも耳が聞こえるぼくは父さんの横で、ずっと恥辱にたえていました。 

普通のひとだったら、牛乳がみつからなかったら、多少は自分で見つける努力をします。そんなことで忙しいだろう店員さんに迷惑をかけるのも悪いし、それに人に声をかけるという作業自体が、なんだかおっくうだからです。話すこと自体が面倒くさいではありませんか。人によっては、人に声をかけること自体が非常に恥ずかしいと考えるでしょう。もし自分の方が間違っていたらどうしよう。もし自分が見逃しているだけで、誰にでも分かるところに牛乳があったらどうしよう。恥をかくだけだ。恥をかくくらいならば自分で歩き回ったほうがいい。日本人は、自分から進んで挙手することが苦手な民族です。よっぽど自分の意見に自身がなければ、手をあげることはない。ところがぼくの父さんは、その聞こえない耳と、生まれもった激烈な性格のおかげで根拠も自信もまるでなくても、次々に質問をしに挙手をしてしまうような人物でした。 

ぼくもまた父さんのおかげで、授業中は自分から手をあげる子供でした。それから朝には大きな声で、みんなに挨拶する子供でした。こういう子供は、先生には好かれること(便利がられること)も少なくないようです。
しかしながら現実の世界は必ずしもそうとはいえません。ぼくは大きな声で挨拶をする度に、周りから呆れ顔で見られているということに気づきました。 

率直な感想ですが、この国では、多くの場合大きな声で挨拶をするやつは仲間内から追い出されるのではないかと思います。小学校では朝一番で登校したぼくが大きな声で挨拶をしても、みんな変な顔をして、誰一人返事を返すやつはいませんでした。ぼくは不思議に思いました。家では朝起きると、父さんも母さんも大きな声で元気におはよう、といったものだったからです。ぼくは素直によくわからなかったものだから、先生に「なんでみんな挨拶をしないのですか?」と聞いてみました。先生は驚いて、次の週から小学校あげての挨拶運動が始まりました。思えばそのころから、ぼくのうわばきはなくなるようになりました。

中学校にはいるころには、ぼくはできるだけ小さな声で、できるだけ挨拶をしないですますようになりました。それから、授業中はどんなに得意な問題でも、手をあげるのを我慢するようになりました。それから、いつもできるだけつまらなそうに、ポケットに手をつっこんで、まるで勉強なんてさっぱりわからないような顔をして、窓の外ばかりみているようになりました。結局これが一番、ウケがいいのです。本当は先生の言っていることはおもしろくて仕方がありませんでした。ぼくは本当は聞きたいことがたくさんありました。「先生、ぼくは平家ばかりが悪いとは思いません」「先生、じゃあもし二酸化炭素がなかったら、どうなってしまうのですか」「先生、数学なんて勉強して何になるの」先生、先生、口には絶対だせない、先生に教わりたいたくさんのことが、頭の中をぐるぐるして、なにがなんだかわけがわからなくて苦しくてじれったくて仕方がない日々でした。 

現実の世界と父さんが教えてくれたもうひとつの世界とが、ぼくの中でお互いを否定しあっていました。ぼくには何がなんだか、大きな声で挨拶すべきなんだかしないべきなんだか、したい質問があったらすべきなんだかしないべきなんだか、まわりに合わせることはいいことなんだか悪いことなんだか、そして、本当のぼくって父さん風にやることなのかみんな風にやることなのか、そんなことばかり考えてしまってとても勉強どころではありませんでした。おかげで成績はいつも下の下。貧乏と耳が聞こえなくて勉強ができなかった父さんとは比べる瀬もありません。ぼくは深く恥じ入りました。

そういえば一度、ぼくは父さんにひどいことを言ったことがありました。「父さんといると恥ずかしい。」って。父さんはがはははは、と豪快に笑って見せましたが、その一瞬、とても寂しげな表情を見せたのです。
ぼくはあの父さんの顔が忘れられない。死ぬまで誰にも、ぼくにすら理解されない父さん。ああ、なんてかわいそう。



こんな父に育てられた結果か、ぼくはいつでも何かにビクついるような人間でした。父さんに、友達に、先生に、女の子に。ぼくは悪さと言うことを、小さいときからほとんどできた試しがありませんでした。落書きもできない、万引きもできない、学校もさぼれない、子供料金で電車に乗れない、落ちてた財布を拾って自分のものにできない、宿題をやってこずに適当なことを言ってごまかすことができない、、これらはすべて、ぼくが悪いことを一切しないような極め付きに善なる心をもっていたからがゆえのことではありません。これらはすべて、ぼくが極度の臆病者だったことによるものの結果でした。ぼくの一番苦手なこと?女の子。女の子と、ああいうことをすることほど苦手なことはありません。例えば女の子の部屋にあがる、ふたりきりでいい感じになる、タイミングを見極めてキスをする、お互いぼうっとする感じになったら優しく胸に手をあてて、、、ぼくには到底そんなことはできそうにありませんでした。だって、胸に手をあてようとして、「いや」なんて言われた日にはぼくはどうしたらいいでしょう。ああぼくにはあなた方が呆れ顔で「そんなの形だけだから、とりあえず押し倒しとけよ」と言っているのがほとんど目に浮かぶようです。しかしながらそれに関してはぼくはそんなこと恐ろしくて出来やしないというほかありません。いやなのです。怖いのです。拒否されたらどうしよう。きっとぼくは女の子に拒否されたら、絶望と苦しみのあまり彼女の部屋の窓から身投げするかもしれません。それでジ・エンド。だって世界から拒絶されたら、人間はもう自殺するほかないではありませんか。


それでもどうしてもふと人恋しくてたまらなくなることがあるのです。これは人間の本能だから、もう仕方のないことです。それで高校生のとき、必死でお小遣いをためて初めて女性を買いました。それはぼくにとって本当に幸せな瞬間でした。まるで神の国が、そのままぼくのもとにやってきたかというような思いでした。自分と世界がひとつになり、心と身体がひとつになり、いかなる罪も苦しみもなく、永遠に生きられるということはこのことかと思いました。その瞬間、ぼくは本当に救われたのです。それはたった三十分に一万円という高校生にとってとてつもない大金を払う代償としてでも、十分におつりのくるものだったのです。けれども一方で、行為が終わって呆然としているとき、ぼくの頭にこの考えがふと浮かびました。「この遊びは到底長続きしえない」。だってそんなお金、どっからもってくるというのですか?人が恐ろしくて盗みもできないぼくが、どこからそんな大金をもってくるというのですか?その考えに取り付かれると、途端にぼくの頭からはその問題がぐるぐると回りはじめ、他のことを一切思い浮かぶことができなくなってしまうのでした。[ついさっきまで味わった至福の瞬間。でもあの瞬間は、もう二度とやってこない。少なくとも、正当な方法でお金を貯めた結果としては、最低あと二ヶ月間はやってこない。]そう考えると、もうつらくてつらくて、ぼくは誰でもいいから抱きしめたくて、涙がとめどなくながれてくるのですが、どうすることもできないのです。だって突然道端の高校生が抱きついてきたら、だれだってびっくりするでしょう。それどころか通報するでしょう。ぼくは翌日から犯罪者です。父さんにも先生にもめちゃくちゃに叱られることでしょう。ぼくにできることは単に泣くことだけでした。いえ、それすら満足にすることはできないのです。だって、道端で誰かが泣いてたら、みんなびっくりするでしょう。きっと変な目でみるにちがいありません。それでぼくは人目を忍んで嗚咽をかみ殺し、下をずっとうつむきながら歩いたのです。ぼくの初めて女の人を買った日は、悲しみと苦しみにまみれ、ずっと泣きはらしていたのでした。 

ところが、そんなぼくの目の前に、驚くべき光景がとびこんできたんです。駅前で数人の若者たちが「FREE HUG(抱きつき無料)」という札を掲げて突っ立っていたのでした。ぼくはびっくりしました。そうしてすごく嬉しく思いました。彼らにぜひとも抱きついて、少しなりとも慰めてもらおうと思いました。 

でも、だめなのです。ぼくの頭の中に、あのぐるぐる回る恐ろしい悪魔の考えがまた現れてしまったのです。もしも、もしもだ、彼らだって人間的な好みがあるのだろうし、たとえ好きでやってるとしてもだ、ぼくに抱きつかれることは嫌だと思っているなら?自分で言うのもなんですが、ぼくはそんなに見てくれも悪くないはずです。清潔感のある格好もつねに心がけていたし、顔だってそんなに悪くはないはずでした。でも、ぼくには動きがぎこちないところがあるのです。ぼくはみんなのように自然に動くことができないところがありました。どうしてもスムーズでない動きになってしまって、自分でそのことを知っているから余計に動きがおかしくなってしまうのです。例えば椅子ひとつこしかけるとしても、スマートにことをこなせる連中ならまず、尻を席の先っちょに、ほとんどよっかかるかなにかのように浅あく腰掛けるのに、ぼくときたら少しでも油断するとつい深く腰をかけてその上ピンと背筋を伸ばしてしまって、格好悪いたらありゃしないのです。きっとぼくのそんな座り方をみたらやつらは「何をそんなに気取ってるんだい」といって大笑いしたに違いないでしょう。スマートに椅子に座るには出来るだけ、けだるそうに、つまらなそうに浅く座ることが必要でした。けれどもぼくときたら何をやるにしても必死な感じで、滑稽もここにきわまれり、といった感じなのです。


そんな動きをするぼくは、周りからみたら間違いなく「変なやつ」のはずでした。だれだって「変なやつ」に抱きつかれるのは、そんなにいい気がするはずもありません。そう考えると、ぼくはもう彼らに抱きつくなんてことは到底恐ろしくてできそうにありませんでした。それでもぼくは勇気をふりしぼり、彼らのほうへと足を向けたのです。 

ああ、ぼくは臆病者です。この世界でもっとも最低で醜悪な、臆病者なのです。そう、ぼくは内心彼らと抱きしめあい、涙を流して分かち合いたいと願っていながら、その実全く無表情で、本当になにごともなかったのかのように彼らの前を通り過ぎてしまったのです!ああ、この意気地なし。本当にぼくなんて死んだ方がいいに違いがありません。しかも、しかもです、ぼくはそれでいて諦めすらつけることができず、結局彼らの前をそのあと五回も通り過ぎたんです。もし、何か奇跡のようなことが起こって彼らのひとりが「お兄さん、よかったらハグしませんか」といってくれることを期待して、まるでハイエナのような畢竟卑しい、全く実に卑しい心で、その上ぼくはもし彼らが声をかけてくれたとしても、全く動揺する表情もみせずに、「いいえ間に合ってます」などと答えて颯爽とその場を去っていた可能性すらあるのですから!一体だれがそんな卑しい心の持ち主とハグをしてくれるというのでしょうか。ぼくは絶望しました。それでもぼくは誰かと抱き合いたいのです。本当にだれでもいいのです。ぼくを受け入れてくれる人ならば、俗な連中が話すこだわりや好みなんてものにはぼくはこれっぽっちも関心がないのです。意気地なし。触れたい、抱きしめたい、キスがしたい、セックスがしたい、でも意気地なし。 

だめです。ぼくは本当にだめです。 

「そりゃあおまえいくらなんでも卑屈すぎるよ。だっておまえ、ぶくぶく太っていつもはぁはぁ言ってるニキビ面ってわけじゃないし、清潔感もあって、ちゃんとした紳士なんだろう?おまえは他人のこと、、、、とりわけ女のことをえらく自分より上のものとでも考えているようだが、そんなことこれっぽっちもなくって、女なんてのは男以上に卑屈で、自分に価値がないと思ってるものなんだよ。そう、ちょうどおまえと同じようなもので、」 

そう、そういう考えが決してわからないわけでもないのです。そこまで想像することができても、それでもやっぱりぼくは始終びくびくしていることをやめられないのです。だって相手のことなんて、どうしてわかることができるというのです?どうして本気で拒絶してるわけではないなんて、断言できるのでしょう。きっとぼくなんかは、女の子とどれだけいい感じになっても、セックスする直前に相手に「セックスしていいですか?」なんて間抜け面で聞くんだろう。それで女の子に「はぁ?」なんていわれて、全部ぶち壊しになるに違いないのです。






死ね!死んでしまえ!花子の憎悪と悪夢とともに!おまえなんか永遠にこの世界から消え去ってしまえ!


そう、人間は決してこの罪と憎悪からは許されない。人に受け入れられることなんて、奇跡でも起こらない限りありえあるわけがないのだ!それでどうする?涙ながらに「さみしいよう」なんて手当たり次第にメールしてみるか?美人の知り合いなら何人だっている、彼女たちがぼくを救ってくれるか?お情けでセックスでもさせてくれるっていうのか?あっはははははははははははは本当にぼくは今笑いが止まらない。実に愉快だ!愉快だよ花子!!!彼女たちが、彼女たちが!ぼくの罪をゆるしてくれるんだっていうんだ!彼女が!花子をか!花子の罪をぬぐうというのか!すべて許すというのか!

なあにここに書いてることなんて全部冗談さ。どうせ明日になったら綺麗に全部消してるよ。恥ずかしくってたまらないものねえこんなもの。お酒の力も借りないと一言すら自分の言葉もかけない人形が、よくもよくもまあこんなにでかい顔してみんなの前で笑顔でさわやかに!そう、こんなにもさわやかに!こんなにも大きな罪を背負いながら!!!!!


「おはようございますー!悲鳴のガンディっす!今日はどうぞよろしくおねがいしまっす!みんな大好きっす!大好きっす!愛してるッス!もう超がんばるっすよ!!ラブ。みんな愛してるよ!」


ラブ。よくぞいえたものだその言葉ラブ。ラブ。よっぽどのバカかよっぽど苦しみぬいた人間でなければいえない言葉だろうよラーヴ。おれはもうこの言葉を見ただけで涙がじゃあじゃあ止まらないんだよ。

人はもっとわけへだけなく音楽をきくべきだもっとわけへだてなく文学をよむべきだという 「偏見なく色んな人の音楽や文学を読むべきだよ」

けれど花子は!花子はどうなるんだ!そこで彼が、素晴らしい音楽をかなでて聞かせるメロディーや、すばらしい文章で人を酔わせたとして、そうしてなんだか幸福な、救われた気分がしたとしてだ、花子は!花子はどうなるんだ!ぼくは花子のことを思ったら!絶対に音楽なんてきけやしないんだ!ライブハウスに人の音楽を聞きに行くなんて!クラブで大音量のダンスミュージックに酔うなんて!花子はそれすらかなわなかったんだぞ、あの子は、あの子は誰にも認められず許されずにただひとりひっそりと、黙って生きて死んでいったんだくああ!誰が彼女のことを一瞬でも忘れる権利があるというのだ、ああ!

ああみんな今頃大笑いしていることだろう、それどころか、ここまで読み進むなんてこともなく、あっというまに他のページにうつっていってしまっているにちがいない!ぼくが道化のふりをして!人の気を引こうとしているって!そう!そうだよどうせぼくはこれをネタに!花子をネタに!みんなの気をひいてぼくはなんて立派な人かと大いに主張して大喜びしてあわよくば綺麗な女の子から信頼を勝ち得ようとかそんなことばっかり考えているに違いないんだ、そう、罪にまみれた絶対に天国にいけない人間さ。だけど冗談じゃなくいま、涙でもう全然ディスプレイが見えないんだよだれかさみしいっていうんじゃない、ぼくなんていいから、本当にぼくなんて地獄にでも太陽にでもなんでも飛び込むから花子を!頼む花子を!



どうかその輪の中にいれてやってほしいんだよ。彼女はみんなといっしょに縄跳びをしたいだけなんだよ。どうして?どうしてたったそれだけのことがかなわない!?みんな一瞬だけでも、彼女をみてやるだけですむことじゃないか、彼女が一体なにをしたっていうんだ、彼女はただ、ただみんなと笑いながら縄跳びをすることを望んだだけじゃないか!


ぼくは天国なんてきらいだ。絶対に天国なんていってやんない。頼まれてもいってやんない。なぜならぼくが本質的に君を憎んでいるからだ。心の底から欲して、望んでいても、絶対に許さない。許されない。ぼくがこの世界と引き換えに地獄におちて、それからみんな泣いて悔い入れ。

それでもぼくは花子を断罪したおまえを、絶対に許さない。絶対に。
さあみんなで大いに福音をすればいい。ぼくは迫害された者とともに約束の地へと帰ろう。約束の地に。花子を葬る、その瞬間に。