一昨日結婚した友達が、式で「この歳になって気づくなんて遅すぎるかもしれないし恥ずかしいことだが、最近ようやく日々を過ごしてゆくことにささやかな誇りを持つようになった」と言っていた。
友達とは中学から一緒だが、仲良くなったのは高三の終わりからで、ハイデガーとかアドルノとか、そういう哲学書の感想を言い合える相手がお互いいなかったからだ。
彼はいつも「山田くん、もっと凄いところに行きたい。こんな下らないところ抜け出して、もっと哲学や思想の話をたくさん出来る奴がたくさんいるところに行きたい。だからぼくは頑張っていい大学に行くよ」と言っていた。
ぼくらはハイデガーもアドルノもよく分からなかったが、誰と誰が付き合ったとか、誰と誰が別れたとか、どこが年収が高い大学とか、どこが遊べる大学とか、そんなことばかり話している連中よりも自分たちは幾ばくかマシだと思っていた。実際それが「ほんの幾ばく」に過ぎないことは分かっていた。自分も自分がつまらないと思っている連中と大差はないことには気づいていた。本当に楽しい場所はどこにあるのか、本当に自分が居るべき場所はどこなのか、ぼくらには想像すらつかなかった。けれども、ここでないことだけは分かっていたのだ。
ほどなくしてぼくは受験に落ち、彼はK大に入った。ぼくは浪人をすることに決め、池袋をふらふらしながら勉強したりしなかったりしていたが、夏の終わりごろに彼から連絡があり「山田くん、ここも高校と変わらないよ。ぼくは仮面浪人をしようと思う」と言われた。
やがてぼくも大学に入り、彼は再受験をしてT大に入った。でも彼はやっぱり不満げだった。「山田くん、ここも同じだ。どいつもこいつも、下らない話ばかりしている。どこかに、本当に楽しい場所はないのか」ぼくもまた、大学が高校と大して変わらないことに気づいていたが、もう彼のようにそれを探す気にはなれなかった。多分、どこに行っても同じなのだ。「ぼくは外交官になる。それはここよりも更に選ばれたエリートが集まるところだ。そこまで行けば、きっと楽しいと思えるはずだ」ぼくはその考えを決して正しいとは思わなかったが、彼の気持ちには共感した。
それから彼は外交官になり、ぼくはバンド活動ばかりやっていたので疎遠になったが、彼がエジプトで催涙弾を食らったり、イギリスの大学で先生をしたりしているという話を風の噂で聞いた。ぼくはライブハウスでギターを叩いたり壊したりしながら、よく彼との記憶を思い出していた。ぼくらは哲学書を読むばかりでなく、一緒に靖国神社へ遊びに行ったりしていた。資料館で特攻隊の遺書を読んだりして、日本の戦争について話し合った。隣接している食堂で、海軍カレーを食べながら彼は言った。
「生きてる実感がさ、欲しいんだよ。あの時代に生きていたら、運命が初めから決められていたら、ぼくも生きている実感がしただろうか」
ぼくはギターを叩いたり壊したりして、ステージをゴロゴロ転がったりしながら、今、生きている実感があるだろうかと自問した。分からない。これが正しいとも思わない。ただ、これしか出来ない、こうするしかなかった、おまえもそうなんだろう?と思った。
Kくん、君の言った言葉を思い出す。その言葉ね、確かイチローも同じことを言ってたよ。村上春樹も言ってたな。どんな賞が取れたとか、取れなかったとか、外野はいつだってそんな下らないことばかり話しているけれども、自分はただ、日々をしっかり過ごしてきたことに、ほんのささやかな誇りを感じるって。
ぼくは君の奥さんのことをあまり知らないよ。でも、君にそう思わせた人なんだなってことは分かる。だって君がそんなことを言うなんて、思いもよらなかったからね。だから、本当によかったよ。結婚おめでとな。
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