2016年5月31日火曜日

悲鳴は解散しました




2016年5月23日の林恒平の永眠をもって悲鳴は解散しました。
この先未来永劫、永久に復活はありません。




一昨日までずっと夏のように暑く、晴れわたっていたのに、昨日今日と急に涼しくなって、今はぽつぽつと降り出して、なぜか漠然と、ああ、たぶん雨は、きっと人が死ぬたびに降るんだなあと思いました。


悲鳴は2011年11月の自主企画を最後に、事実上の活動停止のまま、なんのアナウンスもなしで来ましたが、それはまたいつか、なんとなくまた全員でスタジオに入って、自然に音を出したらその瞬間から、何か始まるんじゃないかなんて、心のどこかで思っていて、いつかってなんだよって今はすごく思う。


今、地元のファミレスで、彼が最後に遺した音源を聴きながらこれを書いています。



十九のとき大学で初めて出会って、彼はソニックユースが好きで、すごいノイズの出し方について武蔵境の庄屋で延々と語り合ってから、一緒にバンドを始めて、いつの間にかお互い三十二になってしまった。


三十までに死ぬと言って君に呆れられていたぼくが、君の葬式で弔辞を読むなんてあの頃は夢にも思わなかったよ。なんだか十九で出会った日から今日までのことが、全部夢だったような気すらするな。


告別式が終わってから、円盤に行って、すごく久しぶりにラムコークを飲んだよ。

ここから全ては始まったんだよな。



口下手であんまり人とうまくやれない君と、なんとなく集団行動が苦手なぼくは、うまく大学生活に馴染めなくて、本当はキラキラした青春に憧れながら、ちっとも興味がないようなフリをして、大学の外でバンドを組んだんだ。


今思えば、本当はぼくらは、大学のバンドサークルに入って、新しくできた友達とコピーバンドをして、夏になったらみんなで海に行って、バーベキューをして、外語祭でお酒飲んで、ときどき恋愛したり失恋したりしながら、卒業して、就職して、たまに同窓会したりしたかっただけ、そしてぼくらにはその勇気がなかっただけなのかもしれないな。


コマツさんが悲鳴をいいバンドだって紹介してくれてさ、このお店でCDを置かせてもらって、なんだかフェスに出してもらえることになって。今まで自分がロックヒーローだと思ってた人たちと突然一緒にライブすることになって。俺なんかFも弾けなかったのに、田口さんは何考えてんだって。

どうせダメ元だと思ってもヤケクソでやったら、少しずつ、局所的にだけど人気が出てさ、その年の円盤の年間チャートで1位取れて。おれさ、あんときあんま言わなかったけど、生まれてはじめて人に認めてもらえたようで、すごく嬉しかったんだよ。音楽に一番なんてものないなんて当然だし、音楽チャートほどアホらしいものないなんて分かっちゃいるけどさ、それでもなんだか、初めて自分が、世の中に受け入れてもらえたようで、めちゃくちゃ嬉しかったんだわ。あー、おれなんかでも生きてきた意味あったのかなあなんて、もしかしたら、友達とご飯食べたり、遊びに行ったりする、そんな普通の生活が、おれにだって出来るのかもしれないなんて。


いつの間にかこの店にくれば、売り上げでお小遣いが貰える程度になっていて。


それで大学時代のぼくは毎日のように、退屈と憂鬱から逃れるように円盤に来て、昼からラムコークをあおっていた。


店主の田口さんの話はいつだってめちゃくちゃ面白くて、飼い主が犬にラジオをしょわせてステージに上らせるだけの犬ラジオというバンド(バンドなのか?)の話とか、ライブ中にギターアンプに小便をかけて壊し出禁になったバンドが買い取らされたアンプを道頓堀に投げ込んだ時の話とか、魚屋で仕事してた頃、泥酔した板前がときどき自分の手とイカの区別がついてなくて血まみれのイカの塩辛を出して来るって話とか、そんなことばかり聞かせてくれて、ああ、自分はなんてくだらないことに憂鬱を感じているんだろう、世の中にはこんなに無茶苦茶な人たちもいるんだ、本当は、どんな生き方をしたって生きていけるんだって思うと同時に、こんな無茶苦茶な人たちがいる中で、本当に自分たちだけの音を出すためには何をしたらいいんだろうって、真剣に考えさせられもした。そういうことを、田口さんは説教ではなく、ただただ面白い話をしてくれるだけで、たくさん教えてくれた。ぼくにとって円盤は、大学よりもはるかに真剣になれる人生の授業だった。


田口さんの話を聞きながらぼくは、ロックの世界ってなんてふところの広い世界なんだろうと思った。ふつうの学校、ふつうの会社、ふつうの世間になじむことができない、出来そこないのぼくらのことを受け入れてくれるロックの世界は、今までずっといじめられっ子で、うまく「みんな」の仲間に入れない、そしてこの先もずっと日陰者として、当然一生愛してるなんて言ってくれる人も居らず、人の目を気にして目立たぬように生きていかねばならないはずの自分も、ひょっとして、ひょっとすると、この世界だったら一発逆転が狙えるのかなんて思った。


だったら命をかけてもいいと思った。どうせこの先何もいいことがないのなら、死んだっていい。一度も自分を認めてくれなかったこの世界を、命をかけて全否定したい。三十以降の寿命を全部あげる。だから神様、この世界に、どうか一矢だけでも報いさせて下さいと。きっとこの世界は、そんなことじゃビクともしないことなんて初めから分かってた。それでもたった一瞬だけでも革命を起こしたかった。全ての価値観をひっくり返して、ほんの一瞬だけでもこの世界をびっくりさせてやりたかった。


そう思ってステージに上った。いつだって膝はガクガクして、このステージがダメだったらもう俺は死ぬんだと思っていた。本当のことを言えば、ぼくは一度も来てくれたお客さんに感謝できたことがない。ここは処刑台で、この人たちは見世物を見に来ているんだと思った。ぼくはピエロのふりをしたテロリストになったつもりで、血まみれになってステージを転げまわっていた。これは「ふつう」の人たちが支配する、「ふつう」の世界に仕掛ける戦争なんだ、いつもそんな妄想に取り付かれていた。もちろん戦争だから、負けたら死ぬ。音楽の喜びや充実感なんて、一度も思ったことはない。「ふつう」の世界にとり殺されるか、ぼくらが「ふつう」の世界を殺すか、どちらかしかないと思った。そんなだから、ライブはただただ苦しいだけだった。 でも、不思議とライブが終わると、ありがとうって言いながら、泣いている人もいた。ぼくはなんて返したらいいのかわからなかった。


ぼくはだんだんおかしくなっていった。この世界のすべてが敵になっていた。いつの間にか愛した人もバンドのメンバーもみんな敵になっていた。ぼくは愛し合った人をさんざん傷つけ、奴隷のように扱い、精神的に殺した。そうしなければ世界に押しつぶされそうだった。そんなおれを、林君は人でなしだと言った。ぼくはずっとそれを許せずにいたし、そして君にそう言わせたことを、ずっと後悔し続けていた。


ぼくらは地獄を見た。




いつの間にか敵は「ふつう」の世界じゃなく、悲鳴そのものになっていた。ぼくらはいがみ合って、 憎み合って、何度も傷つけ合った。 おれは林くんの言っていることがさっぱり分からなかったし、林くんもまたぼくの言葉を、全く理解できないといった。最後の最後に林君は「人でなしとはバンドはやれない」と言った。



そうして悲鳴は崩壊した。ぼくはようやく自分が何をしたのか気付いた。




三年前に、林くんが音楽の専門学校に入学したのを知った。


おれは素直に、本当にすごいと思った。三十になって、十八の連中と一緒に肩を並べて真剣に学ぶというのだから。彼は当然のように二年間連続で首席をとって、その時一緒に演った連中と、一緒にバンドを組んでいた。雨の花束という。ぼくは「ああ、こいつにはもう、くだらないプライドとか一切ないんだ、ただただ真剣に音楽に、自分に向き合いたいだけなんだな」と思った。ぼくはそんな林くんをすごくカッコいいと思い、尊敬した。


それからひと月かふた月に一回、二人でお酒を飲むようになった。話していることはいつも本当にたわいもない会話で、この酒美味しいなぁ、とか、同級生の誰それは何してる、とか、何のエフェクターを買ったとか、そんなことばかりで。昔のように、死ぬとか、生きるとか、そんな話は一切しなかった。林くんが命がけなのは、何も言わないでも全部伝わったからだ。


あるとき林くんが、自分がバンドのリーダーになって、初めてガンディ君の苦しみに気付いたと言った。それでなんだか、少しだけ泣いた。もしかして、自分ももう一度バンドをやってもいいのかと思って。



悲鳴が崩壊してから、きっと永遠に許されないと思って生きてきた。


何をやっても灰色だったし、人から感謝されても、自分は人でなしなんだからと、顔では笑っても、すぐに打ち消してきた。こんな自分が、人前に立って歌ったり、人と当たり前に恋をしたり、人と喜びを分かち合うことなんて一生、絶対に許されないと思った。ただ人の幸せだけを願って生きて、いつかお迎えが来たら、そっとひとりで死ねばいいと思っていた。


だんだん、林くんと心が通じ合うようになってきた。彼との最後の二年間は、ただ静かに吉祥寺で酒を飲むばかりで、本当に穏やかで、幸せだった。時には、二人の飲み会に共通の友達を招いたりもした。あの誰にもすぐ悪態をついて無言になる林くんが、ガンディ君みたいにちゃんと人に心を開ける人になりたいなんて言い出したからだ。そんなことを思ってくれていたなんて、十年前は全く気付かなかった。ぼくらは失った時間を取り戻そうとするかのように、ようやく打ち解けて話した。たまには下らない冗談も言った。林くんと冗談を言い合うなんて、悲鳴をやっていた頃には考えられなかった。あの地獄のような過去が嘘のような、本当に穏やかで幸せな時間だった。


林くん、あの頃のぼくらは今に革命を起こし、世界で一番有名なバンドになって、どこにいっても受け入れてもらえる、優しくしてもらえる、ちゃんと顔をあげて上を向いて歩ける、そうしてこんな陰鬱でみじめな現実とは永遠にお別れして、当たり前の生活を手に入れられるなんて、そんな風に思っていたよね。遥か彼方のまだ見ぬ栄光に手を伸ばし、目の眩むような空を見上げ続けて、確かにぼくはあのとき、目の前にある本当に大切なものを何一つ大事にできなかった。そうして本当に大事なものを自分から全て壊してしまった。本当にくやしくてくやしくて涙が止まらないよ。ずっと後悔しているよ。あのときから。ずっと。ずっと許されないと思ってたよ。


病院で君の姿を見た時、おれは本当に信じられなかった。どうしてぼくではなく、君がそうしなければならないのかと。君もまた壊れかかっていたんだって、おれはまた気付けなかったわ。いつだって自分のことばかりな自分が本当に嫌になる。たくさん管のついた君は何も語らないし、何を言っても返してくれなくて、ぼくは本当に自分がこの世界のどんな小さなことすら何一つ変えられないってことを思い知ったよ。そうだな林くん、まるでこの世界は映画を見ているようだね。ぼくらはただ見続けることしか出来なくて、スクリーンの向こう側がどんなことになっていても、手を伸ばすことしかできない、そしてその手は決して向こう側には届かないんだ。


君は映画を観るのをやめて、ぼくはまだ見続けている。
どちらを選んでも、残酷なくらい当たり前に太陽は昇り、この世界は続いていくんだ。



あのやたら暑かった春の間、痩せ細った君の足を拭いていたら、君はぐぐっと体をよじらせたことがあったよね。ぼくらは林くんが応えたって大喜びで、もしかしたらどうにかなるんじゃないかなんて思って。次第にお見舞いの人も増えて、雰囲気も暗いばかりじゃなくなって、日曜日にはいつの間にかたくさんの人が集まって、待合室でみんなで記念撮影したり、お菓子を食べてお茶したりしながら、がんばれって、暗い顔じゃなくて応援できるくらいになったら、安心してしまったのかな、その翌日に君は行ってしまった。暖かな陽気の、ポカポカした日だったな。そのとき気づいたよ。あーそういやそういう奴だったなって。その場を離れないでじっと見てて、みんながもう大丈夫って分かったら、誰にも声をかけずに一人で帰っちゃう。みんな後になって気づくんだよ、あれ林どこ行った?ええっ、もう帰った!? 話したかったのに!ってさ。

君が体をよじらせたことはさ、確かに医者から言わせればただの反射運動なのかもしれないよ。でもおれは、誰がなんて言おうが絶対に君がぼくらに応えたんだって思ってるよ。真っ暗な宇宙の中で迷子になっている君が、もう届かなくなるその前に、微かに聴こえた交信に、必死で応えてくれたんだって思ってるよ。おれはさ、もしかしてたったの1ミリでも、このバカみたいな世界を変えられる可能性があるなら、スクリーンの向こう側とこちら側が交差する、そんな嘘みたいな奇跡があるというのなら、別に信じていたっていいんだって、君がいなくなった今でも、確信を持って思うよ。それがたとえ、医者や科学が何の意味もないって言ったとしたって、ぼくはどうでもいいんだよ。


会場でさ、ずっと君のうたが、流れていたじゃない。君は真ん中で眠っていて、黒い服を着たたくさんの人が泣いていて、君は「きみがいないと張り合いがないよ」って歌詞、本当にバカじゃないの。本当にバカじゃないのかと思うよ。おれも君も。本当に。


林くん、ぼくは思うよ。たとえ君とすごした時間のほとんどが、見えない何かをつかもうと、いたずらにもがいてあがいて苦しんだ、地獄のような時間だったとしても、ぼくにとっては本当に、何物にも代えがたい本当の宝物だったんだ。ずっと言えなかったけど、本当に本当だよ。


式が終わって、円盤に行った。田口さんはずーっと黙っていた。いつの間にかぼろぼろ涙がこぼれてしまって、泣きながらラムコークを飲んでいたとき、はっきり、ああー、おれら、負けたんだなーって思ったんだ。世界に戦争を仕掛けるつもりで始めた悲鳴ってバンドは、ここで始まってここで終わったんだ。十三年だよ。あっという間に過ぎ去ってしまったよな。ずっと終わりにしたかった夢を、ようやく終わらせることができたよ。

本当は「普通」の人なんて、どこにもいないなんてこと、とっくに気付いていたんだ。


おれらのやったことは、1ミリでも何か世界を動かしただろうか。誰かに影響を与えただろうか。きっと何も変わってないと思うよ。おれは本気でやれば、負けてもいつか何かの肥やしになるなんて言葉はまったく信じないよ。何が起こっても世界は残酷なくらいに放置プレイで、何の感情もなく明日も太陽は昇るんだよ。

それでただおれらは負けたんだよ。でもそれは、おれらがやりたくて好きで勝手にやったんだよ。だから別にいいんだよ。



ここまで書くのに四日かかってしまったよ。まだ、雨は降ってる。でもきっと、明日はもう晴れるんじゃないかな。

なあ林君、おれ最近思ったんだ。あれは、確かに傍から見たら、すごく奇妙でいびつな形だったけれど、やっぱりぼくらにとってのまがうことなき、青春ってやつだったんじゃないだろうか。

あの頃のぼくらは何者かになりたいと思って、遥か空の彼方しか見ていなかったが、でも、本当に大切なものは、すぐ目の前にあったんだな。あのころのぼくは、そのことを夢にも気付かなかったんだよ。

三十も過ぎて今はわかる。多分もう、次の一発はない。でかい何かはこない。君もいない。革命は起こらない。

大切なものは次々と壊れていくけれど、それでもぼくは、君の見なかった映画の続きを、見続けようと思うよ。


君の魂が、夢を見るように安らかに、眠りにつくことを祈ってる。
それとも君は、あの頃と同じように、何も語らず、ぼくらを見ているのだろうか。


そうだな、願わくばぼくらが、今そばにあるものを大事にできるように。
そして、きっと何者にもなれないぼくらに、素晴らしい明日が訪れますように。



ぼくらの青春を一緒に彩ってくれた、悲鳴にかかわってくれたすべての人、初めてちゃんと言える。本当に、本当にありがとう。ずっと素直になれなかったけど、本当に嬉しかった。
感謝してもしきれない。

あれは、灰色で、地獄のような日々で、海もバーベキューもなくて、ステージに上がっているときはいつも苦痛ばかりだったけれど、それでも確かにぼくらの青春でした。



ねえ、あんなに傷つけあったけど、今でもぼくは、君が大好きだよ。














ガンディ
粟生こずえ
林恒平

カワセタクヤ
吉田規朗

撮影スタッフ:大島亜耶




2012年9月2日日曜日

警句

(下手な警句だ。でも僕はこいつを消さない。僕は大いに気のきいたものになると思ってこれを書いた。 だが今自分で見ても、汚らわしい自慢話にすぎない。だからわざと消さないんだ!) ドストエフスキー

2009年10月29日木曜日

RE:TAKE


真に渇きたる者のために

絶望を忘れた者のために

愛を知らぬ者に

愛を壊す者に



未だ日本人ではない日本人に

僕の思想を託す


2009年6月2日火曜日

黒い自由


シンガポール人華僑のイェンおじさんは、いつも突然ふらふらと我が家に出入りしては哲学や政治の談義をして、ときどき飴玉をくれ、朝方ふらりと帰っていったものだった。


ぼくの父は早稲田で建築を学んでいた頃、華僑らの住むアパートに転がり込んで暮らしていたらしい。耳が聞こえない父にはデカイ声で話す中国人との生活が居心地がいいのだ。なにより親父にとって嬉しいのは、彼らは気を使わなかったということだ。いったいどれくらい気を使わないのかと言うと、このアパートの家賃を誰が払っているのかわからないくらいである。金があるやつが払う、ないやつは払わない、それが彼らの流儀だった。(※こういう中国人が、共産主義を選択したというのはすこぶる興味深い話である。日本人に共産主義は無理だ。日本人は気を遣いすぎる。)

日本人は無意識のうちに、相手に自分と同等の気遣いを求めるが、実は耳の聞こえない人間にとってこれはかなり困難な要求である。気遣いは世界一細やかな感性を持ち、空気を読むことに長けた日本人だからこそできる芸当なのだ。親父は華僑のほうが、日本人とよりもずっと気が合った。理由は単純で、障害者である父が、中国人とならば健常者と同じように話せたからだ。それに、同類を愛する日本人と生活するには、親父はいくらか個性が強すぎたし、また、当時の最底辺の生活、まさに貧乏のどん底のような生活が、普通の日本人といっしょに学生アパートに住むことを難しくしていた、ということも理由のひとつなのかもしれない。なにはともあれ父は、素性のしれない中国人華僑たちとひとつ屋根の下で大学の四年間を過ごすことになったのだ。

しかし共同生活を始めると、中国人はすぐに親父に迷惑をかけはじめる。料理洗濯、掃除……なにより酷かったのは論文の提出だ。連中は日本語が苦手なことにかまけて、翻訳しろ翻訳しろと、すぐ親父にたよってくる。親父もつっぱねればいいのだが、つい中国人のあの大袈裟な態度に折れて、親身になって助けてしまう。すると今度は翻訳じゃなくて、論文そのものをかけという。これが中国人である。結局親父と同期の早稲田大学中国人留学生の卒業論文は、ほとんど親父が書いたものになってしまった。

なかでもひどかったのがイェンという男で、親父に論文をかかせて、二階に女を連れ込んでいる。そうして、コトが終わると下着姿の女と降りてきて、「おう、悪いな山田、」とやるのである。

これが先ほど話にでたイェンおじさんだ。シンガポール随一の国営企業の御曹司であると同時に、その膨大な財産をたったひとりで全部食いつぶした。そうして無一文になって、去年だったか、一昨年だったか、カナダでひとり死んだ。なぜカナダかと言うと、極端に不精癖なイェンおじさんは、日本政府にも、シンガポール政府にも、出せば簡単に取れたはずの永住権申請を面倒がってしなかったからだ。「政府なんて関係あるか。他人なんて関係あるか。」そう言っていたイェンおじさんは、日本にも中国にもシンガポールにも見放され、全ての財産を失い、カナダでひとり、孤独に死んだ。

「ふん、ロクでもないやつだよ」酔っ払うと親父はよくイェンおじさんの話をした。ああいう男にはなってはいけない。ああいう男になれば不幸だ。親父は熱っぽくイェンおじさんの悪口をいった。そうして、しまいにはあんな男生きている価値すらないというのだ。そのくせ、ぼくから見れば、イェンおじさんは親父のほとんど唯ひとりの友達に違いなかった。それにどうして本当に嫌いだったら、どんなに忙しいときでもふらりとやってきたイェンおじさんを泊めて、酒杯を交わそうとするのだろう。イェンおじさんはリーカンユーのパーティで毎晩一本ウン万もするようなシャンパンを飲んでいたときも、全てを失って、財産はあの小さな毛糸の帽子ひとつだけになったときも、変わらず思い出したようにふらりと我が家にやってきた。そうして親父とムツカしい思想や政治の話をしては、気づくとスースー眠っていた。朝起きると大抵おじさんの姿はなく、毛沢東のようなひどい癖字で、辛うじて読める「また来る」との書置きだけがあった。

耳の聞こえず、日本人のうちに入り込めない親父と、徹底して自分のことしか興味のないイェンおじさん。不具者の運命は因縁のように絡み合う。親父はイェンおじさんを軽蔑したが、しかし親父の強烈過ぎる個性に口出しをしないのはイェンおじさんくらいなものだった。イェンおじさんは親父に興味をもたなかったが、けれども彼の破天荒な生き方に一切文句をつけず、放っておいたのは、親父くらいなものだったのかもしれない。

彼らは互いの人生に関心を持たず、時に憎悪すらしていたが、互いの自由だけはわかりあっていた。日本中どこへ行っても説教をされそうな勝手な人生を歩んでいる二人だったが、それゆえにこの二人が酒を飲み交わすときには、そのようなことは一切口にしなかったのだ。
事実親父は、イェンおじさんが全財産を失い、世界中から見放されていくのを目の当たりにしても、絶対に何も言わなかった。「おまえ、しっかりしろよ」とか、「きちんとやれ」とか、友人として言うべきといわれているようなことは、一切言わなかった。そうして、我が家の扉を閉ざすことも決してなかったのである。


親父はわかっていたのだろう。誰が何を忠告しようとも、イェンおじさんはそういう人生を歩んだに違いないのだということを。自分がどこに行っても不自由であるがゆえに、イェンおじさんの不自由もわかりすぎていたのである。運命、それはちょうど不自由な自由といったようなものだ。人間は重すぎる十字架のような過去を背負っているから、ちょっとやそっとで人生を変えることなんてできやしないのだ(誰かができるというのなら、それは彼がよっぽど軽い人生を歩んできた証拠である)。人は神に自由を与えられたが、おかげさまで互いをまるっきり分かり合えない存在になってしまった。


イェンおじさんの訃報をきいたときの、親父の顔をよく覚えている。笑いとも泣きともつかない、あの苦虫を噛み潰したような顔。「人は人に、何も言うことはできない……だけどなあ、とうとう死んだか。」外は見渡す限りの、果て無き真っ黒な自由。邪魔するものは何一つとしてない。君もぼくも、この世界に、永遠に一人ぼっちだ。


2009年3月1日日曜日

泥棒

無機質な蛍光灯が、ちりちりと音をたてる部屋に男が二人座っている。ひとりは警察官。もうひとりは線の細い、いやに白い男。


「たかがパンひとつ、ここまでねばるとは思わなかったがね。」

「たかがパンひとつ、そう思うならもういいじゃないですかね。」

「そうはいかない、パンひとつでも盗みは盗み、事情を聞くのが俺の仕事だ。」

「そうだ、たかがパンひとつでも盗みは盗み。おれは確かにやってのけたのだ。」

「やってのけたと言ったな。初犯か。」

「そうだ。これが始まりなのだ。」

「始まりか。いったい何が始まるというのだ。」

「人生さ。」

「終わりの間違えじゃないのか。」

「いいや、確かに始まったんだ。刑事さん、あんたは人生を始めてすらいないんだぞ。」

「どこの刑事が万引きの聴取なんてするもんか。おれはヒラ巡査だ。」


立ち上がった巡査が窓の外を見る。激しい雨で、滲んだ信号の光がガラスに映る。しばし動かず。やがてブラインドを閉じる。男が口を開く。


「巡査は、給料はいいのか。」

「なんだ、巡査になりたいのか。」


男、だまって笑っている。


「普通だよ。サラリーマンさ。」

「なんのために働く。」

「家族のためさ。」

「子供がいるのか。」

「そうだ。子がパンを盗まぬように、おれが働くのだ。」

「金があっても盗みはするぞ。金があるからおれは盗んだのだ。」


しばし無言。

降りしきる雨の音の中、ゆっくりと男が話し始める。巡査、調書に書き取りを始める。


「働いてお金をもらう、そんな当たり前のことがどうしても嫌で仕方がないのだ。こんなことを言えば、人は腹をかかえて笑うだろう。笑ってくれてかまわない。それでもやっぱり、働いて金をもらうというのは、どうしても嫌な気持ちがするのだ。
おれは生まれて初めて人からうん十万の給料というものをもらい、なんだか頭を金槌で殴られたような気がしたよ。だいたい、こんなに金をもらって、いったい何をするというのだ。月曜から金曜まで、奴隷のように働いて、その見返りがこれか。この金を、土日で馬鹿みたいに使って、そうしてまた奴隷に戻れということか。

給料をもらってすぐ、同僚が、遊びに行こうとおれを誘った。土曜の街をぶらつきながら、阿呆みたいに服を買い、クッションを買い、グラスを買い、漫画を買い、インテリアを買う。同じようにしろというから、彼を習っておれも阿呆のように金を使った。そうして、一日の締めとして、女と遊ぼうという。『風俗か。』『ばかめ、女は街でつかまえるんだ。』そう言うが早いか、彼はもう二人組みの女に声をかけていた。

女におごってやり、いい気分にさせる。頬を赤くそめて、ネコのようになった女たちを尻目に、同僚がおれに囁く。 『女なんてのはな、一杯おごってやればまず誰でもやれるんだよ。』女たちは嬉しそうにきゃっきゃと騒ぎまわっている。『こないだね、私渋谷でマキシマムザホルモンとすれちがったんだよ』『えー!ほんとほんと!?いいなぁー!』彼もすかさず話題に滑り込む。『マジ!?それチョーヤバくね?りょっくん超すきなんだけど』

吉祥寺のホテル街を、男女四人で歩く。 『歩けなぁい』『ねーむーいー』女がしなをつくり、おれに寄りかかってくる。同僚の無遠慮な笑い声が、夜の街に響く。 

『な、こいつ面白いだろ?』
『うんー、私この人のことちょっと好きになっちゃったかもー、うふー』
『うは、ゆみ惚れやすすぎでしょ』
『ちょっとちょっとおまえきたんじゃねーのコレ?』 

同僚が肩をバンバンと叩く。おれは何を思ってたかって?気持ち悪くて仕方ないんだよ。少しおごっただけで簡単に股を開くクソ女ども。汚くて絶対にさわられたくないのに、女は酔ってなおさらしなだれかかってくる。

イライライライラと唇をかみながら、下をうつむいて歩く。


しかしおれは悟ったね。なるほど世の中というのは、そういう風にできていたのか。月曜から金曜まで、奴隷のように働くと、土曜と日曜に、甘くて美味しいお菓子が待っている。そいつを舐めたらまた月曜から奴隷の生活だ。金さえあれば、服も酒もマンガもゲームも、およそこの世界にあるものはなんだって買える。女の心だって買えるんだ。いったいこれは何のパロディなのだろうね。ぼくらはなんのために生きているんだろう。金があれば女とやれる、金がなければ女とやれない。ぼくの頭は憎悪と汚いものへの嫌悪感でいっぱいだ。5日奴隷になって、その対価として、2日酒と女がやってくる。で、酒と女をくれてやるから、きっちり奴隷になりなさいって言うのか。いったい誰がおれを奴隷にしてるんだ。金はなんのためにある?金は女を買うためじゃない。金はパンを買うためにあるのさ。

おれはいきなりぴたりと立ち止まって、びっくりした顔をしている女をつきとばした。そのまま一瞥もせずにバックれて、帰り道のコンビニでジャムパンを盗んでつかまり、そうして今ここにいるってわけさ。」


巡査、筆を止め腕を組み天井を仰ぐ。何かを考えている。


「はは、まだやっぱりよくわかんないみたいだな。いいかいおまわりさん、全部欺瞞なんだ。どいつもこいつもまったく嘘なんだ。あの女がおれを好いたのはなぜだ?おれが金をもっていたからか。おれが飯をおごったからか。毎日飯をおごってやれば、毎日やれるのか。そういうことを、結婚というのか。つまるところ、女って「もの」なのか?女ってのは男を奴隷にして死ぬまで働かせるために、この世界が造った愛玩人形なのか。そうしてその愛玩人形でオナニーをするためには、月曜から金曜まで、奴隷になるしかないってわけだ。この世界はおれたちに、「奴隷になったら、褒美に女をくれてやるぞ」と、そういう風にいってるんだ。世間の人々そんなことを指してやれ真実の愛だとか、やれ愛こそ全てだとか、欺瞞に満ちたことばかり言っている。おれはそんなもの願い下げだと、あのときはっきり思ったんだ。この世界の奴隷になったご褒美に、愛玩人形でオナニーするくらいだったら、真実の愛を求めて男と抱き合ったほうが百倍マシだろうってね。おれは人形を抱く趣味をもたない。おれは人間を好む。おれはパンのために働いたはずだった。そして同じ人間と、一緒に楽しく食いたかったんだ。それがなんだ。いつの間にかパンだけじゃ生活できないこの世界だ。誰のせいだ?誰がやってるんだ?おれにパンと、真実の愛をよこせ。綺麗な服も、うまい酒も、おもしろいインテリアも、愛玩人形も、文学も芸術も宗教も全部いらん。パンと、愛だけよこせ。なければ奪う。」


しばし無言。男、目がらんらんとしている。

巡査。


「しかしいくらおまえがいらんと言っても、女はおまえを好きになるぞ。おまえが嫌悪する女は、そういうおまえを、真実の愛で包むだろう。それでもおまえはまるで気づかず、ずっと愛に飢えるんじゃないのか。盗んだパンに愛はあったか。おまえの心は砂漠のようだが、女の心は澄んだ水だ。何もない人形ではない。」

男、巡査の話に耳を傾けず、興奮さめやらぬ様子。

いつの間にか雨は上がっている。




巡査、取調べの調書に「飢えのため」と書き込む。





(幕)

2008年11月27日木曜日

食べて


女になりたい
女に生まれたかった
昼のうちに掃除をすませ
皿を洗い夕げをつくり
洗濯物を取り込んで
あの人の帰りを待つ
ベッドではたくさん愛してあげるの
綺麗な身体で
疲れた今日一日を
私が慰めてあげるの

誰かの愛人になりたい
売春婦もいい
真っ赤なドレスを着て
シャネルの香水をつける
私はいるだけで
私を必要とする
身体があるだけで
私は必要される
絶望的なほど
人の目が欲しい
燃え上がるビロードよう
火がつくように欲望して
貴方のお好きなままに
泡のあふれたバスタブで
震える指先で月を蹴る
好きなだけ楽しんだら
捨てるように帰って

私は思った
私は何も欲しくない
みんなが私を欲しがれば
私は何も欲しくない

愛なんて知らない
貴方なんて知らない
私しかいらない

蟻のように働く時間があったら
蝶のように化粧をしていたい

蟻に食べられてしまうために

私なんて何百の蟻に
黒々とした鉄のようにたかられて
もがれ、焼かれて

いなくなってしまえばいいのに






2008年11月11日火曜日

死なないルーシー


私はアンドロイド。 23世紀のロシアで踊り子を務めている
私は月に一度のメンテナンスで半永久的に稼動することが出来る。 

死ぬことはない。
眠ることもない。 

その代償として、自分が本当に起きているのか、生きているのかもよくわからない。 
もっとも、ロボットが生きているかどうかを気にするなんて妙な話だ。 

それでも愛する人はいる。 
劇場の下働きの老人、イワンだ。 
イワンは月に一度、満月の夜、私を裸にしてメンテナンスをする。
油圧を下げ、しわだらけの手で、シリコンからにじんだオイルを丁寧に拭く。 
もうこんなことがかれこれ8年も続いている。 


私に見える世界は、現実と幻がごちゃごちゃだ。 
眠らないアンドロイドは起きながらにして夢を見るからだ。

時折、イワンと踊る幻を見る。
どうしてこんな夢をみるのだろう。
ポールに映る自分の姿はひどく歪んでいる。

劇場は、床も天井も全てが鏡ばり。
無限の私が、じっと私を見つめて、私の目を回す。
もう何が過去で、何が今なのかもわからなくなった。


ふと気づくと、イワンが身体を拭いている。
真っ白のつきひかりが、鉄格子の窓から差し込んでいる。

そうしてまた気を失った。